「明日になれば」
秋津しょう様より
明日になれば日向さんが戻って来る。そうするとこの関係は中断される。
「迎えに行くのか?」
「行かない、俺の家に来るんだから面倒くさい。」
だから荷物は全て持ち帰れよ、そう目が言っている。塵一つ残すな、言わなくても分かってる。俺としてもそのつ
もりなんだからさ、そう冷たくする事もないだろうに。
「何?」
苦笑いをこぼす俺にいぶかし気な松山の顔。
「相変わらずだなと思って、切り替えが早いって言うのか……」
「俺の事言えるのか?」
そうですね、声に出さずに頷いた。
日向さんに悪いと思いながら、松山との関係は続いている。悪いと思い始めたのは日向さんが松山に本気になり出
した頃で、その前から松山とは関係を持っていた。ただ関係と言っても感情を挟まない関係だった。
「若島津、」
靴をはいていると松山が呼び止める。
「日向が気づいたから、もうやめよう。」
こちらを見る事もしないで松山は食器を洗っていた。
「気づいてる?日向さんが?」
「そ、」
「何か言われた?」
「いや、でもあいつ嘘つくの下手じゃん。」
「お前との事は認めないから、そのつもりで。」
「もちろん、俺もそのつもり。」
俺も松山も似ている所がある。損得勘定で生きている所が一番似てる。損だと分かると躊躇なく切り捨てる事が出
来る。友達だろうとなんだろうとね。
この場合この関係を清算してしまう事が得であり、それが互いに当てはまる。
「じゃぁ、明日な。」
「明日。」
扉が静かに閉まる。いつの間にスムーズに閉まるようになったのだろう、この前来た時は酷く嫌な音をさせていた
のに。
空港には取材する記者が大勢いて、日向さんはそれを上手に交わしながらこちらにやって来た。車の運転を反町が
すると聞いて不安そうな顔をした。
「大丈夫ですよ、毎日のように夜中走ってますから。」
「普通に走ってくれるんだろうな、」
「ハンドル握ると性格変わりますからね、100k制限しときますか。」
「80kだ。」
日向さんは意外に慎重派だ。安全第一、これは反町だけに言う口ぐせ。
「松山が来なかったからって、そんな顔してると反町泣きますよ。」
「あ?………ん、そうだな。」
「日向さんが帰って来るの、あいつが一番喜んでいるんですから覚悟して下さいね。」
「………最近、オールがきついンだよなぁ、」
「みんな一緒ですから諦めて下さい。」
仕方が無いと苦笑いをする。明日は盛大な飲み会が予定されていた。店を朝まで貸し切れたのは、反町のお手柄と
でも言うべきだろうか。
「世話になったな、」
ピカピカに磨き上げられた反町の車を遠くに見つけ日向さんは言う。
「松山の面倒を見て貰って助かった。」
「何がです?」
昨日松山が言った事は本当だったと、思いながら首をかしげた。だが日向さんは愉快そうに笑い、知らないと思ってるのか、そんな目で俺を見た。
「まぁ、これからも頼むわ。あいつ我侭だからなかなか頼める奴いないんでな、お前なら安心だし。」
反町がクラクションを調子良く鳴らしている。日向さんは含んだままの笑みで反町に声をかけていた。狂ったよう
に喜ぶ反町を見ながら、まいったと内心ため息をついた。
日向さんに太刀打ちするつもりなんてさらさら無いが、先制攻撃されるとは予想もしていなかった。それもこんな
風に。犬なら腹を見せている所だ。
心の中で白旗を振りながら2人の会話に加わる。反町のハイテンションによる走行で、日向さんの神経はそちらに
取られっぱなしで幾分助かる。日向さんを松山の家に送り届けると俺達は邪魔をせず退散した。明日があるさと、反
町が慰めているのを横目に松山の安否を気遣った。なんとなく何かありそうだな、そう思った。
なので次の日飲み会の席で松山にこっそり尋ねると「迎えに来なかったと五月蝿かった。」そう苦笑いした。
「それだけか?」
「ん?なんで、何かあんの?」
とぼけている風でもない松山に「本当に気づいてるな。」と笑った。松山も「そうだろ?」と頷く。
「いつ、気づいたのかな?」
「さぁね、案外最初からかもよ。」
松山は悪びれずに日向さんを見ながら言う。久しぶりだと次から次にビールを注がれては飲み干していた。
「そうだとしたら、なんで今になって言うのかね、」
「今だからじゃねぇ?あいつ結婚しようとか言うもん。」
「…マジ?」
手酌でビールを注ぎながら松山は目の前の枝豆に手を伸ばす。俺はと言うと「結婚」なんて初耳だったので驚いた。
「外国に男同士でも式挙げられる所があるんだって?なんかアパートの隣の隣に男同士で結婚してる人が住んでいて
、色々話を聞いてるみたいよ。」
松山はどうでもよさそうにビールを飲んでは注ぐ。
「……それで、どうするんだ?」
「悩んでるよ、突然そんな事言うからさぁ。俺そんな事考えた事無かったから…マジビビってる。」
「確かに……俺もビビった。」
松山は笑うとズボンのポケットから「婚約指輪」だと言って銀色の指輪を取り出した。さすがに光り輝く石はついて
いない。
「俺にネクタイピンでも返せと言うのかね、あいつは。」
「でも、嬉しそうじゃん。」
とぼける仕草に隠し切れない嬉しさが伝わる。
「あいつ、収入も安定してきたし、将来的な予定もたつから俺の家族もそう反対しないだろうなんて言うんだぜ?笑
っちゃうだろ?テメーの食いぶちぐらいどうだってするし……そー言う問題なのかって思うんだけどさ。」
「日向さんの気持ち的には嫁を貰う立場なんだなぁ〜。」
「それを言うな、泣けてくる。」
指輪をズボンにしまいながら、松山は焼き鳥に照準を代えた。
「で、いつ式挙げるんだ?」
「まだ結婚するって決めて無いよ。」
「でもそのつもりだろ?」
「ん〜…、どうだかなぁ〜。一度遊びに来てから考えろなんて言うんだよね〜。」
松山は本当に悩んでいる風だった。つき合うのと結婚は違うから分かる気がした。特に相手が男でそれも日向さんなら俺でも悩むよ。
ちゃんと自分の置かれている立場や諸々の事情を把握した上で考える人だから、いい加減な思い付きで口にしてい
る訳が無い。相当考え抜いたのだろう事が分かるだけに、いつもの損得勘定では解決出来ない。松山が悩んで当然だ
な。
松山はそれ以上その話をしなくて静かに飲み続けた。その結果夜が明ける頃には酔い潰れていた。
「おいッ、しっかりしろッ、寝るなッ、どこへ行くッ、」
今日の主役が困り果てている。右往左往する松山の後を追いかける様子がおかしい。どうにか松山をタクシーに押し込み家路に着く日向さんを見送ると、反町と歩きながら帰った。
日向さんの滞在日数は少なく、その日以降会えずじまいだった。一度電話をした時、滞在中はずっと取材で忙しく
寝る暇も無いとぼやいていた。だがそんな中、北海道へ行ったと聞いたのは日向さんが帰国してからだった。
松山から電話があったのは半年過ぎてからで、今から日向さんの所へ行くと言った。そのまま向こうに住むのかと
質問すると分からないと答えた。
「日向さん喜んでるだろう、」
『馬鹿みたいにね。』
「覚悟を決めたんだな。」
『覚悟って言うのかね、こー言うの。』
「さぁな、でもまぁ良かったじゃないか、」
『良かったのかな?どうなんだろう?』
「あの人は喜んでるんだから、いいんじゃないのか?」
『まぁね、なるようになれだ。』
空港のざわつきと松山の笑い声が混ざって耳に届く。時計を見たのか、もう行かなくちゃと松山が呟いた。
「元気でな、」
『お前もな、早く本気になれる相手を見つけろよ。』
「大きなお世話だ。」
『心配してんだぜ?俺本気でお前の事好きだったから。』
「……そうだったのか、気づかなかった。」
『だろうな、』
「俺も……お前の事本気で好きだったんだぞ、気づかなかったろ?」
『…マジで?気づかなかった。』
「だろうな、そんな感情を含まない関係だと決めつけていたからな。」
『そんな事一度も口にしてないのになぁ。』
「本当に、」
呆れた笑いを2人でした。もう一度「元気で」と交わしてから受話器を置く。多分同時だったと思う。なんだかな
ぁ、そう呟いたのも一緒だったかもしれない。
松山との関係が終わってしまった事を始めて惜しいと思った。夏模様になりつつある空を見上げながら、もう一度
なんだかなぁと呟いた。