「・・・俺、もぉかえるわ〜」
「なんやって?」
「こんなんしてても時間の無駄やし」
ここは大阪ミナミ戎橋。通称ナンパ橋。
心斎橋筋を通る若者達の格好のたまり場になっている。そこに以外と顔を知られた男がひとり。仲間とともに所在なげに立っている。
ガンバ大阪で活躍する早田誠そのひとである。
先程から、好奇心に目をキラキラさせた女子高生や、あからさまに視線を送ってくる20代後半のおねーちゃんなど女性の注目度はかなり高い。
早田は橋の欄干に寄っかかったまま、ぼーっとグリコの電光看板なんかを眺めてる傍らで、彼の友人達がナンパに勤しんでいる。
しかし、せっかくつかまえた女の子がそばにきても、人寄せパンダである早田が話し掛けてもくれない状態では、ほとんどの女の子は「これから待ち合わせあったんやわ〜」と去ってしまう。
「んな、冷たい事いわんといてぇ〜な。早田がおらんかったらあかんて!!」
「せやけど別に、ナンパしとうないし」
「そりゃあ、お前は彼女に不自由してへんかもせえへんけど。可哀想な親友達には、たまには友だち孝行してくれてもええやんか〜」
「あほ!不自由もなんも、いまつきおうてるやつなんかおらへんで!!でもなぁ・・・なんかなぁ・・・そーゆーのなぁ・・・」
「ほな、早田のタイプゆうてみ?そーゆー子ゲットや!!ほれ!!」
「ん〜」
「髪は長い子か?茶髪か?」
「・・・髪はぁ短くて真っ黒で・・・」
「ふんふん、可愛い系?綺麗系?お目めぱっちりか?切れ長?」
「色が白うて・・・・大きい目なんやけどつり目できっと睨む視線がよくて・・。でも、かわいいんや・・・・」
「・・・ソレって誰か好きなやつおるんやん?」
「へ?・・・・・・・・・・・・・じゃあ、つづきがんばれや」
待てよ〜という友人達の声を背に、早田はとぼとぼと道頓堀筋を右折する。
はあ・・・・。
俺あかんて・・・・。もおずっとこんなんで、俺の青春真っ暗や・・・。
好みのタイプって、松山そのものやんか〜!!
早田誠。19才。
いつのころからか気付いてしまったこの想い。昔からなにかと松山はいいヤツだと、ふつーに友人として好きだったのだが、とあるきっかけで松山に向ける視線が変わってしまった。
全日本ユースの合宿所。たまたま見てしまった松山と日向のキスシーン。
夜中に起きてしまった早田が、ジュースでも買おうとロビーの自動販売機に向かった時、自主練習にでもでていたのだろうか。松山と日向が帰ってきて・・・。
───あ、マツ。またこんなん遅くまでやっとったんか。どーりで姿がみえんと思うたわ。しっかし、いつも日向も一緒やな〜。───
松山だけだったらまだしも、日向も一緒だたったので、なんとなく自販機の影に隠れて彼等をやり過ごすことにする。
突然、日向の手が急に松山の顎を掴み、深く口付けをしているのが否応なく視界に入った。
───ひ、ひゅうがっ?あいつなにしとんねん!!───
予想通り、松山の手が日向の胸を押し退けて、はぁはぁと肩で大きく息をしながら、日向を睨み付けていた。
松山の、濡れたくちびるを右手の甲で拭うしぐさが、非常灯のあかりの中ぼんやりと浮かび上がって見える。
その表情は暗がりのはずなのに、赤く染まった目もとや、睨み付ける視線もなんだか濡れて揺れて見えたりして・・・。
日中の自分が知ってる松山と同じはずなのに、微妙に違う表情がそこにある。
───マツ・・・・。もしかして・・・もしかして、かわいい?───
そんな松山の肩を再び掴んだ日向が、松山の耳元で何か囁いている。
松山の顔が一瞬困ったような顔になり、日向の目をじっと見つめて、溜息を一つこぼす。
そうして、すうっと目蓋が閉じられる。
日向が満足そうに、その目蓋にキスをして・・・・・・。
その光景を固唾をのんで見守っていた早田の心臓が爆ぜた。
顔が熱くなる。全身の血が逆流するようだ。
はっ、こんなとこにいる場合じゃ無いと、慌てて、そおっと音をたてないように急いで部屋へと戻る。
勢い良くドアをあけ、早々に自分のベッドに潜り込む。なぜなら早田は松山と同室だったのだ。
───なんやったんや今ん!!
っていうより、マツがマツがぁ・・・・・。
あんなん表情するなんて卑怯やわ・・・。むっちゃ好みの顔やった・・・・・。
って俺!松山は男やで!しかも日本の誇るトッププレイヤーやで!!そんなん対象にみたらあかんって!!
はぁ・・・日向のヤツ、なんて羨ましい・・・・・ってチガウやろ〜〜〜〜〜!!
うわぁ〜〜〜〜〜!!俺どおしちまったんや〜〜〜〜〜〜〜!!───
ふとんを被ってぐるぐるしている早田をよそに、暫くしてドアが静かに開かれる気配があった。
同室の早田が寝ていると思っている松山は、なるべく音をたてないようにしているのだろう。
とはいえ、深夜の寝静まった部屋にはちょっとした物音が、やけに大きく聞こえる。
衣擦れの音に、ふと早田がふとんの隙間から隣のベッドを覗く。
松山が、ねまきがわりのTシャツに着替える前に、汗で濡れた体を濡らしてきたらしいタオルで拭いていた。
夜中のシャワーはやけに響く。そういえばいつも朝シャンだ〜と、早朝に風呂にいってたのはこういう理由らしい。
暗がりに、ぼうっと白い松山の背中が見える。
見慣れてるはずなのに、あんな光景をみてしまった後では、なんだか艶かしくみえてしまう。
───わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!───
松山はさっさと身支度を整えると、そうっとベッドに潜り込み、早田とは反対側を向いてすぐに寝付いてしまった。
そして早田は、その夜は朝まで眠ることができなかった。
翌朝、いつもどおりの松山の笑顔に、ようやく寝付いたところを起こされる。
朝食、練習、夕食。
気付けば、松山を追ってしまう視線。その先には以前から好きだった、快活な笑顔や、サッカーに真剣に取り組む男の顔。
だけど、ふとした瞬間にみせる表情に、どきっとさせられてしまう自分をもはや偽る事はできないのを早田は自覚した。
でも決して伝えられない思いを胸に、今はコンサドーレとの試合でしか会えない松山。
そして会っても、全日本のチームメイト、共にサッカーの世界で走り続ける同志としての関係を壊したく無い早田は、昔からの『オモロイ早田』のままでいるしかないのだった。
いっくらスキでも、相手がなぁ・・・。
しかも日向もおるしなぁ・・・。
なんでマツはあんなんがええんかなぁ・・・。
あー、どっかに俺の松山はおらへんかな!!って、他の男やだめなんやけど。別に男好きなわけやないし。
もう、真っ当にいきていけるよーに、松山似の可愛い女の子でも探して幸せになるしかあらへんのかなぁ。(←ソレも違うけどな、早田)
早田の足は、御堂筋にぶつかると難波方面へ左折する。
行き交う人の流れにとぼとぼと乗る。
ふと視界に入る、一人の影。
そうそう、ショートカットで、もちろん髪は黒くって、色も白くってなぁ。
背はそんなに大きくもないんやけど、チビでもなくって。
すんなりとした体に、大きな目が勝ち気な感じでええんやわ〜。
はぁ。
俺もたいがい一杯一杯みたいやわ。こんなんとこにおるニイちゃんが、マツにみえてしまうんやからなぁ・・・。
「早田!」
店側に並ぶ行列から声がかかる。
うっさいわ。いつもはファンサービス旺盛な俺様やけど、今日はドツボなんや。
「早田ってば!!!きこえねーのかよっ!!」
あ〜、声までマツによーにとるわぁ・・・。そん口調も・・・。
え?
慌てて声のした方を振り向く。
入店を待つ行列の中に、松山光そのひとがいた。
「ま、松山???ホンモノ???」
「ったく、何回よんでもきがつかねーんで、耳がねえのかと思ったぜ」
松山がニヤリと笑う。
「なんで・・・・・・なんでこんなところにおるんや!!!!!」
「え?カレー食いに」
「まあ、ここはカレー屋やけど・・・・。そうじゃなくって、なんで大阪におるんかっちゅーことや」
「だから、はり重のカレー食いに」
そう、ここは『はり重カレーショップ』。
隣で大きく商っている高級肉屋の直営店である。反対側には高級肉店ならではのすき焼き等を食べさせる店もあるが、高い。
ぎゃくに今松山が並んでいるカレーショップは、その同じ肉の細切れ等をつかったカレー等を非常に安く提供する、食堂といった風情の店である。
回転ははやいがたいてい行列ができている。もちろん早田もはり重のカレーは好きだが・・・。
「単にカレーだけ食いにきたってゆーんか?」
「だから言ってるだろ。カレー食いにって」
ちょっとむっとしたように、松山が口を尖らす。
返す言葉のみつからない早田は、まじまじと松山の顔をみつめるしかなかった。
「俺さぁ、カレーすきなんだわ〜。で、ココのうまいって、前に早田がいってたじゃん♪だから食いにきちゃった。うまいんだろ?」
「あ、あぁ、うまいでぇ」
「そうかぁ♪楽しみだなっ〜」
松山の番になり、なりゆきで早田も一緒のテーブルにつく。
カツカレーを頼んだ松山の前に、それが運ばれるとがしがしとスプーンを運ぶ松山が満面の笑顔でうなずく。
「ほんと、早田のゆーとーりだったな♪ありがとな」
そしてまた、がしがしと皿に盛られたカレーの山を平らげていく。
早田はといえば、自分の置かれている状況をようやく認識しはじめていた。
───マツがありがとうやって!!!それよか、俺、マツと二人でメシ食うのってもしかしてはじめてとちゃう?わ〜、もしかしてもしかして、すっごいラッキーなんやないか?───
「あれ〜?早田は食わねエの?もしかしてメシもう食った後だった?」
「へ?あー、ちょっと」
「そっかぁ。思わず一緒に店連れ込んじまったからな。じゃあ、これは俺が食うよ」
言うが早いか、既に空になっている自分の皿と早田の前の、まだ半分ほど残っている皿をとりかえた松山は、みているほうも気持ちイイくらいの食べっぷりで、それを胃におさめた。
「は〜〜、うまかったぁ♪」
ごくん、と水を飲み干す松山の喉元が反らされる。すっかり幸せ気分に浸っている早田は、そんなことにすらドキドキしていた。
「何?早田?」
「は?・・ああ。何やマツ、今日はひとりでこっちきたんか?」
「そうだけど。なんで?」
「いや、日向とかと一緒にきてるんかなぁ・・・って」
「・・・どうして日向と一緒にこなきゃいけねーんだ?」
日向、の言葉に松山の眉間に皺が寄り、心底嫌そうに吐き捨てる。
───日向おらんのかぁ。あれ?でも、マツと日向、一緒に暮らしてるゆーうわさやったけど、違うンかなぁ。こないに嫌そうにいうなんて、喧嘩してるんか?それとも別れたとか?そうや、別れたんや!!だからわざわざ大阪まで松山はきてるんや!!!───
早田は勝手に自分に都合のいいように解釈して、納得する。
「マツ!!!」
「ん?」
「今日、これからどうするん?」
「ああ、ほんとにカレー食いにきただけだから、あとこのへんぷらぷらして、夕方の新幹線で東京に帰るよ」
「折角きたんやし、泊まってかんか?俺んちでよければやけど。ド観光したりな、他にも美味しい店紹介するよって」
「え?まじで?」
「いやならあれやけど・・・」
「ううん!すげーうれしい!!急にきたのに悪いな!!じゃあそれ、乗った!!!」
満面の笑みを浮かべた松山は、さあ、行こうというようにすぐに席を立つ。
早田は頭の中でガッツポーズをして、松山におとらない満面の笑みを浮かべ、店をでた。
通天閣でビリケンをなでまくり、新世界でおっさんに混じって串揚げを食い、天王寺の動物園もいって、梅田の観覧車にまで乗ってしまった。
すっかりデート気分で幸せの頂点にいる早田と、純粋に連れられていくところいくところ、楽しんでくれる松山の二人は、仕上げに十三でネギ焼きを平らげ、コンビニで買い込んだアルコールをぶら下げ早田の家についた。
どっかりとリビングに座り込み、二人だけの酒宴が始まる。
お互いのチームのこと、いまは敵として全国に散らばる仲間達の事。
くだらない、芸能界のこと・・・・・・。
話はつきず、買ってきた缶ビールはハイペースで潰されて部屋の片隅に積まれていく。
「あ〜、もう、コレで最後じゃねえ?」
「ほんま?また買ってくっか」
「ん〜、まあ、とりあえずこれ片付けようぜ」
早田のグラスに最後のビールを注ぐと、松山は残りはそのまま缶ごと煽った。
すっかり松山の白い肌はアルコールでほんのりと赤く染まり、勝ち気な瞳は酔っているのか少しとろんとしている。
急に早田は落ち着きがなくなってくる。
そんな早田にはおかまいなく、松山はじいっと早田の顔をみつめてくる。
───俺ってば、マツをウチまで呼んだんはええけど、どーするつもりなんや〜!!どーしよー!!!!!───
「早田ぁ」
少し、舌のまわらない口調で松山が自分を呼ぶ声がする。
じりじりと松山が自分の方に体を寄せてくる。
松山の吐息がかかる距離にまで顔を近付けられる。開かれた口からはビールの匂い。
早田の心臓は早鐘のように鳴るばかりで、返事をしたつもりが、掠れて声がでない。
己のあまりのふがいなさに、早田はパニックに陥りそうになる。
「きょうさぁ、すんげぇたのしかった〜。でも、おれ、お礼できるものなんもねーんだ。どおしたらいい?」
「そんな、お礼なんてええんや・・・・・・・・・・!!!!!」
そういえば、目が座っていた。
と思い出したのは随分後のことだったけど、早田の唇に松山の唇が重なっていた。
呆然とする早田の目に、離れた松山のぷっくらとした唇がはいってくる。
赤く少し濡れた唇・・・。
「松ぅ〜っっ!!!!」
早田のなかでナニかが音をたてて切れた。松山の肩を掴み、がむしゃらに唇を重ねる。拒まれるかと思った舌も割と簡単に迎えいれられる。
天にも昇る気持ちで、夢にまでみた松山の口腔を貪る。
───あああああ!!神様!!ありがとぅ〜っ!!!───
ぷるるるるる ぷるるるるる ぷるるるるる ぷるるるるる
早田が勢いで、次の段階へ進もうとした矢先、松山の携帯電話が鳴り響く。
はっと気付いた松山が、早田を押し退けポケットにしまわれていた電話を引き出す。
液晶に表示されたナンバーを確認し通話ボタンをオンにした。
「なんだよ・・・・」
『 』
「いまさら、だろ?ふざけんな!!!」
『 』
「え?大阪。ああ、ひとりで食ったさ。悪いかよ」
『 』
「馬鹿で悪かったな!!!!」
相手の声は聴こえないが、この口調から、相手は日向だろうと早田は確信した。
そして、むしょうに自分の家なのに居心地が悪くなる。
「・・・・・・・・・ああ。そうだな」
『 』
「うん・・・・・・・・日向・・・・」
松山の返事のトーンが変わる。
早田は気付く。松山がこんな声を出すのは日向に対してだけなのだと。
やっぱり自分の片思いは永遠に続くものらしい。
───俺がすきなんは、もしかして日向を好きなマツなんかなぁ・・・───
自嘲気味に溜息をひとつこぼすと、少し気の抜けたビールをぐいっと一気に煽る。
そして、まだ、電話を続ける松山を横目に、客用の布団を使っていない和室にひいておいてやる。
部屋に戻ると、通話は終わったらしい松山が、少し涙目で早田を見上げた。
「ごめん、早田」
「ん?なんかあったっけか?ほな、隣の部屋に布団ひいといたから、そっち使ってーや。俺、もお、眠くなったから寝るわ〜。あ、風呂はいるんやったら、それもつこうて」
「俺、早田も好きだ。ほんとうに」
「ありがとぉ〜」
「・・・・・ほんとにごめんな」
松山の唇がそうっと、早田に唇に重なる。
そしてすぐにそれは離される。
あったかいキス。どこにもついていないはずなのに、カレー好きだという松山の言葉を思い出した早田は、鼻孔の奥にカレーの香りを感じた。
───あ〜あ。やっぱりマツ好きやし〜。今は日向とは同列になれへんみたいやけど、マツも俺んこと好きやゆうてくれはるだけで万々歳っちゅーことにしとこか。・・・カレー食うたび、キス思い出しそうやわ・・・───
翌朝、早田が起きると松山は既に帰った後だった。
テーブルの上に置かれた手帳の切れ端に、『またな』と一言書いてあった。
また、って松山はまたカレーだけの為にくるんだろうか。
くっくっと早田は思い出し笑いをする。
今度松山がくる時までに、新しいカレーの美味しい店を開拓しておいてやろうと思いながら。