「───俺はまぁ、社長のやることなんて口にだせる立場にないですけどね」
車を出すと同時に、若島津がルーム・ミラーの中の日向に切り出した。
ゆったりと足を組んで煙草を吸っている日向は、考え事でもしているように無言で目を閉じている。
しかし、若島津の言葉はちゃんと聞こえていたし、彼が何をいいたいのかも重々承知していた。
───酔狂にもほどがある、と。
他でも無い、日向自身がそう感じているのだから、若島津にしてみれば愚痴の一つでも言いたくなるというものだろう。
「何もそんなの、社長がひろってやらなくったって・・・」
視線を日向から彼の膝へとずらせて、若島津が大きなため息を付く。
そこには一匹の猫がぐっすりと眠っていた。
痩せ細ったその猫は、小さな頭を日向の膝に預け、片手は日向のズボンをしっかり握りしめている。
時折、丸めた躰にかけられている日向の上着を寒そうに引き寄せるので、日向が安心させるように背中を撫でてやると、気持ちよさげに閉じた目を細めてのどを鳴らす。
猫の名前は、光。
捨て猫なのか迷い猫なのか、光は何もいわなかったし、日向もきこうとしなかった。
日向は名前だけきくと、何のためらいもなく光を抱き上げて車に乗せてしまったのだ。
「まあ、猫の一匹やニ匹、うちにおいたところで邪魔にはならんだろう」
「・・・それはそうっスけど・・・」
確かに、あの屋敷なら猫の10匹でも20匹でも飼えることは間違い無い。
「お前、昔猫飼ったことあるっていってたよな。こいつの世話をしてやれ」
「しゃ、社長〜」
若島津が抗議の声をあげたが、日向はその件はもう決定したという様子で再び目を閉じてシートに背をもたれてしまった。
閑静な高級住宅街の一角にある屋敷の門の前に、車がほとんど音もたてずに停められた。
間をおかず、大柄で屈強そうな男達が数十人でてきて、車の両側に整列する。
全員がダークスーツ姿で、眼光鋭く冗談ひとついいそうにない顔つきをしていた。
こういう手合いの職業は2種類に限られている。
つまり『捕まえる側』と『捕まる側』であり、車を降りた日向に、おかえりなせぇやし!!と野太い声で唱和して一斉に礼をした彼等の場合は後者であった。
そして、彼等に向かって、ああ、と気さくな挨拶を帰した日向こそが、広域暴力団『東邦会』5代目組長、日向小次郎である。
彼の父は、早くから息子の卓越した素質を見抜いており、周囲の時期尚早との声を押し切って、数年前に組長の座を日向に継がせてしまった。
その判断が正しかったことは、いくらもしないうちに証明された。
組長の座と同時に引き継いだ金融会社───これが『東邦会』の正業である───の経営も難無くこなし、中堅の優良企業へと仕立て上げた。
また、もともと『東邦会』というのは、たの組や司法関係との摩擦を極力さける、穏健派、であったが、この若き組長はそれをさらに一歩進めて、『めったなことでは手が出せない、万が一出せば火の粉が飛んでくる』という存在にしたのである。
「あの・・・坊ちゃん、その猫は───」
日向の鞄を受け取った年嵩の組員が遠慮気味に尋ね、日向にしがみついてこわごわと組員達を眺めている光に視線を向けた。
びっくりした猫は、あわてて日向の背に隠れてしまった。
「うちで飼うことにしたから。世話は若島津がやってくれるが・・・まあ、皆も頼むな」
日向が軽くいうと、
「わかりました。どうぞ御心配なく坊ちゃん」
と、その年嵩の組員が頭を下げ、残りのダークスーツ集団も口々に「お任せ下さい、坊ちゃん」「怪我一つさせやしません、坊ちゃん」と請け合った。
日向はちょっとわらって、
「その坊ちゃんっていうの、そろそろやめてくれないか」
と軽口でも叩くように頼んだ。
はあ、と年嵩の組員が頭をかく。
「申し訳ありません。つい癖で・・・。それに、勇退なすったとはいえ、先代も御健在ですし・・・」
律儀だな、と日向は苦笑して、光を促し門の中へと入っていった。
邸内に落ち着くと、日向は光を風呂にいれてやるようにと若島津に命じて、とりあえず着替えるために自分の部屋へ行こうとした。
すると、猫の手がしっかりと日向のシャツをつかまえて、どこ行くんだ?と聞く。
しかし、日向がそれに答えるより早く、若島津が光の手を掴んで、シャツを放させた。
それでもまた日向のシャツをつかもうとするもう一方の手もつかみ、コラ、と叱る。
「お前はこっち。風呂に入るの」
「風呂?」
「そう。躰きれいにしような」
ふうん、と猫は若島津を振仰ぎ、それから何とか日向のシャツをつかもうと無駄な努力をしながら、一緒にはいろ?と日向を誘った。
沈黙。
まず日向が吹き出し、次に若島津が真っ赤になり、光はね?ね?と無邪気に笑いかける。
「す、すみません、社長!俺がきっちりしつけますから」
すでに光の面倒を見るのは自分だと決めた様子の若島津が、もがく猫を力ずくで大人しくさせようとしながら謝った。
肩を震わせて笑っていた日向は、腕にかみついたり顔をひっかいたりして若島津の腕の中から逃げ出そうとしている光の側へ行き、その頭にふわりと手を触れた。
そのとたん、ぴたっと猫が暴れるのをやめ、甘えた鳴き声を出す。
日向は光の頭を撫でてやりながら、また今度な、とクスクス笑った。
「・・・いいか?もう2度と社長にあんなこと言うんじゃ無いぞ?」
光の手を引いて浴室へと歩きながら、若島津はくどくど説教する。
「どうして?」
素直にしてあどけない反問をされ、えーと、と思わず若島津は考え込んでしまう。
・・・・・どうしてって、そりゃ・・・いやしかし、こいつのはコドモが一緒に遊ぼうっていってるのと同じなんだから、別に変な意味じゃないし・・・っていってもなぁ・・・
「あっ、こら待て!!風呂はそっちじゃないっ!!」
若島津がぶつぶつやっている間に、光はサンルームがある方角へ駆け出していた。
急いでその後を若島津は追い掛け、猫の首根っこをつかんで捕まえると、ひょいっと肩に担ぎあげて浴室へむかった。
「・・・着替えはここにおいておくからな。あ、それから、ちゃんと肩までつかって10数えてから上がるように。あと、タオルは湯舟の中につけたらダメだぞ?」
大目玉をくらった光は、若島津の教育的指導を真面目な顔で大人しくきいてはいたが、どうも右の耳から左の耳に抜けていっているようだった。
──────前の飼い主にかなり甘やかされていたな、あいつ。
煙草を取り出しながら、若島津はため息をつく。
この屋敷の管理が主な仕事である若島津は自室を与えられていて、光の風呂がすむまで、そちらにいてもよかったのだが、いかんせん、あの猫は目を離すのが危険そうだった。
──────これはもう、俺がびしびししつけてやらんといかんな。
人に対してまるっきり警戒心がないことが、何よりも誰かに飼われていたことを証明しているといえたが、あそこまで天真爛漫だと、そこらの野良猫と同じようなものである。
・・・まずは日向さんへの口の聞き方を教えないと。まったく、あいつときたら自分は日向さんに拾ってもらったもんだて謙虚さが全然ないからな・・・あの落ち着きのなさも困ったもんだし・・・と、つらつら考えている内に時間がたっていく。
もう上がっただろうと腕時計をみた若島津だったが、一向にその気配がない。
若島津は首をかしげ、それから少し不安そうに眉を寄せた。
考えてみれば、あんなに痩せ細ってるくらいだから、ここ何日もまともに食べていないのだろう。そんなすきっ腹で風呂にはいったので、気分でも悪くなったのかもしれない。
浴室のドアをノックし、声をかける。応答無し。
一挙に緊張した表情になった若島津は中にはいり、湯気で曇ったガラスの引き戸に耳をあててみた。すると何かばしゃばしゃと大きな水音がしている。
まさか、溺れているんじゃ!?・・・・・ここの風呂場は温泉旅館並みに広くて大きいのだ。
血相を変えて引き戸を開けた若島津が一瞬ポカンとした顔になり、それから、だんだんと怒りの形相になっていった。
「風呂で泳ぐんじゃないっっっ!!!!!」
たっぷりお小言を頂戴したというのに、光は露程にも答えた様子はない。
「だってほんとにプールみたいなんだもん。ここの人は誰も泳がねえの?」
おしゃべり猫の頭を、むっつり顔の若島津がドライヤーで乾かしてやっている。
──────こいつは絶対に俺をなめてる!!!!
そうだ、そうに決まってる!猫ってやつは犬と違って人の恩をすぐ忘れるんだからな。よーし、もう死んでも甘い顔はしてやらないぞ!!何があったって毅然とした態度でのぞんで・・・と固く決意している若島津のシャツがつんつんひっぱられた。
何だ、とうるさそうに光をみやる若島津に、光がにこーっと笑っていった。
「この服あったかいねぇ、若島津」
・・・お・・・・おお。
は、は、はじめて俺の名前呼んでくれた──────っっっ!!
そんでもって俺みて笑ってくれた──────っっっ!!
「だろー?あぁ、ほら、ちょっと手かしてみろ。俺んだから、やっぱりお前には大きすぎるなあ・・・明日はちゃんとサイズあったの買ってきてやるからな」
そういいながら、シャツの袖口を丁寧に折り返してやる若島津に、ほんと?ほんと?と光は何度も念を押してからだをゆする。
その様子に、若島津は今の今まで固く決意していたことなど、地球の裏側へ放り捨てた。
そして、深い青のシャツの袖からのぞいている猫の手をとると、今度はゴハンだ、とニコニコしながらいった。
「俺っ、ハンバーグがいいっ」
「ハンバーグ?あれ作るのめんどくさいんだぞ〜」
「食べたいっ食べたいっ、若島津ぅ〜」
「・・・しょうがないなぁ・・・・」
一人と一匹はつないだ手をぶらぶら揺らしながら、台所の方へ歩いていった。
サンルームで新聞を読んでいた日向は、ばたばたと慌ただしい音に舌打ちした。
「騒々しいな。何かあったのか?」
開け放したドアのところを駆け抜けようとしている若島津をみつけ、日向がソファーに座ったまま体を捩らせてきくと、いやそのぉ、と若島津は頭をかきながら言葉を濁らせる。
社長の拾った猫が、ゴハンを食べたらいなくなりました、とは口が裂けてもいけない。
何でも無いっス、とぎこちなく笑い、若島津はまたばたばたと走りさっていった。
やれやれ、と日向はため息をついてからだを戻した。
「・・・・・・・・うるさぁい、なんだぁ?」
「目が覚めたのか。俺にもさっぱりわからん」
「ねむぅい・・・・・・」
「こら、寝ててもいいから、そろそろ膝からおりろ。新聞が読みづらい」
「・・・・・ここがいいのぉ・・・・」
語尾はあくびになって、光がまた日向の膝の上で丸くなった。
猫ブームで便乗。といいつつも、実は、前からあっためてたんですけど。全然設定とかもつくっちゃってるんで上げるのまよってたんですが。ゴールデンウィーク暇つぶし対策(汗)。
猫はしっぽも耳もありますが、なんか大きくなったり小さくなったりいろいろです(爆)。
そこらへんはお話だから〜ということで、許されて下さい。
日向さん(社長っ(笑))、出番少なくてすいません。なんか健松ちっくでもあるし〜。(01.05.03)
よった勢いにまかせて落書きしたものがあります。お暇な方はどうぞ →→→
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