フワ…と上掛けが持ち上がる気配。
冷たい外気をまとったゴツイ身体が、隣に滑り込んでくる。
そして俺は、ヒッソリ安堵の息をもらすのだ。
明け方。と言ってもいいのだろうか。
冬の朝は明けるのが遅い。
夏ならば、鳥たちが歌い始める時間も、この季節は、何もかもが死んだように眠りについている。
それは、俺たちだって例外じゃない。
客がいるときに使う高級なシルクの敷布とは違い、ザラザラとした肌触りの綿のシーツ。
そして、重たいのだけが取り得の毛布。
夢路のお供に許される寝具は、それだけだ。
最後の客を送り出し、ようやく得る独りの時間。
誰かといても息が詰まるのに、独りでいるのは、もっと耐えられないこの部屋で、眠る時間。
だが、俺の一日は、ここから始まる。
風呂で禊ぎ、侘しい寝台に横たわって、夢の腕に身を委ねていると、ウトウトとまどろむうちに、フワ…と上掛けが持ち上がる気配。
そして、冷たい外気をまとった身体が、隣に滑り込んでくる。
鍛えた腕が、静かに俺の身体を包み込み、抱き締める。
どこで仕事をしていたのだろうか。
今日は、水の匂いを身にまとっている…。
ほのかな潮の香り。
それは、俺の断片的な記憶を、揺すぶり、そしてまた破壊する。
目を開けるのは億劫で、だから鼻だけをシャツにこすりつけるようにして、匂いを嗅いだ。
「…海が見たいな」
「起きてたのか?」
「潮の香りがする」
「…この時期の海辺は寒いぞ」
広い海を思い浮かべると、とても楽に呼吸が出来た。
ギュウゥッと縮めていた身体が、思う存分伸びたような解放感。
魂の枠から、自分がはみ出していくような違和感。
耳元で囁く低い声は、俺を夢のない睡眠へと導いてくれる。
大きな掌が、そっと俺のうなじをたどり、不器用な手グシで髪を乱す。
それだけの仕草で、うっとりするような陶酔感に満たされる。
脇腹に手を這わせると、ゾクリと身を震わすのがわかった。
男の生理なんて単純なモンだ。
冷え切っていた日向の身体が、いつの間にか、風呂上りの俺よりも熱く感じられる。
「やりたい?」
そう、耳元で囁くと…、ヤツは小さなため息をついた。
「大人しく寝とけ」
「フ〜ン」
「なんだよ、やりたいのか?」
「…大人しく寝とけよ」
「素直じゃねえなあ」
こめかみに唇を押し付け、くぐもった声がからかうような響きを帯びる。
こんなちょっとしたやりとりが、長い一日を終えて、死にかけている「俺」を蘇らせてくれる。
それでも、それを素直に伝えるのは、なんだか悔しい気がして、狭いベッドで、ムリヤリ身体の向きを変えた。
俺がすねていると勘違いしたのか、ククッと喉で笑うような音をたてると、背後から軽く羽交締めに、俺を抱き締める腕の強さ。
なだめるように重ねられる手、そして、耳朶に触れる唇。
柔らかな夢の入り口が俺を誘う。
俺の指で悪戯っぽく遊ぶ日向の指を、適当にあしらいながら、ウトウトと浅い眠りを彷徨っていると、
「そういえば…」
「ん?」
「なんかウワサになってるぞ」
「なにが?」
首だけ動かして、すぐ近くにある顔を見る。
半開きの瞳が、俺の目をとらえて、かすかに微笑む。
「この店の、とある男娼が、心か身体かどちらかしか売らないって宣言したんだそうだ」
「…」
「どんなヤツだかってんで、客が引きも切らずに、オーナーはウハウハだそうだな」
「大げさだな」
「まあ、ウワサ半分で聞いておくにしても、そんなヤツのベッドに、俺が潜り込んでるなんて知れたら、どうなるんだかなぁ〜」
「あんまり真剣に心配してねえだろ、お前」
「心配したからどうなるって、そういうもんでもないだろ」
「……」
俺が黙っていると、ギューッと力をこめて、圧し掛かってくる。
たぶん半分くらい嫌がらせだ。
腕を壁につっぱって抵抗し、また狭い場所で身体の向きをかえて、抱きあうような体勢に戻り、日向の胸に頭を押し付けた。
「重いんだよッ」
「朝起きたら、役人のワイシャツ並みにプレスされてました〜とか」
「バ〜カ」
「…なんか、久しぶりに聞いたな、そのセリフ」
顎から耳のあたりにかけて、手を添わせると、なにげなく顔をのぞきこまれた。
ダメだ。
急にそんなことされると、カラダから火が出るほど恥ずかしいような気がしてしまう。
カッと頬が熱くなって、俺は目をそらした。
それがまた、日向にはたまらなく楽しいらしい。
クソー…。
またムリヤリ身体を反転させて、背中を向けてやる。
クツクツ笑いながら、腕をまわしてきたのに、肘打ちを食らわせてやって、目を閉じた。
「カラダとココロ、お前だったらどっちを選ぶ?」
「両方」
「…ダメ、どっちかだけ」
きっぱり言い切ると、少し考え込むような気配がして。
それから、フンッと大きく鼻息をつく。
「そんなん選べねえよ、両方だ」
「…欲張り」
ホントは、欲張りだっていいのだ。
日向には両方、あげられる。日向になら、あげても構わない。
「で、どっちのほうが多い?」
「そんなこと知ってどうすんだよ」
「賭けてんだよ」
「…そんなん賭けるな」
「案外、見栄っ張りが多いから、心のほうかなあ」
「絶対、教えねえ」
「ちぇッ、ケチ」
「へッ、欲張り」
一つの布団にくるまって、子供みたいなケンカをしていると、ただお人形のように座って「ココロ」を売る俺も、求められるままに「カラダ」を売る俺も、消えてしまう。
「もう寝ろ」
「…オヤスミ」
「おやすみ」
あやすように、軽く身体を揺すられると、時折訪れる睡魔の腕に絡め取られそうになって。
フワッと、一瞬の浮遊感のあと…深い眠りに呑み込まれて。
そして、俺の短い一日が終わる。
目を覚ますと、いつも白いシーツが目に入る。
いつの間に帰っていくのか、俺は知らない。
そして、今日はどこで仕事をするのか、聞くことも出来ない。
俺も、日向のウワサを耳にしている。
この店で働いていたこともある(いまも時折、働いている?)用心棒が、最近、とみにヤバイ話に手を出しているらしい。
金が必要なのか、それとも、他に理由があるのか…。
店の客や従業員の間で囁かれる、数限りない中の、小さなウワサ。
だが、そのウワサに心が揺れているところを見せるわけには行かない。
たまに、エントランスですれ違う日向と、目を合わせることも許されない。
昼の光の中、顔を見ることさえ適わない恋人…。
だから俺は、冷たい外気をまとったゴツイ身体が、隣に滑り込んでくる瞬間、ヒッソリ安堵の息をもらし、一日が無事に終わったことに感謝するのだ。
それが、どんな一日であろうとも。
おわり
あさふく様より、ラブラブマツコジin上海をいただいてしまいました〜〜〜〜〜っ!!
ああ!!ラブラブ、ラブラブですよ〜〜〜〜〜!
日向さんなんか優しくてカッコイイ・・・・。
松山がとっても可愛いんですけど!誘ってるんですけど!!きゃ〜〜〜〜〜〜〜!(喜び中)
心とカラダ、どっちかしか売らない、という台詞がいいですねえ。日向には両方っていうのがまた!
なんだかこの二人には幸せになって欲しいですよ(号泣)。
ほんとに皆さんから頂く上海、切り口がそれぞれで、もう感激♪
この後どうなるのかしら〜〜〜〜とか、すごく気になってしまいます〜〜〜〜。
挿し絵・・・・・;;
あさふくさんの世界を壊してしまって無いか心配です(号泣)。
ほんとにほんとにあさふくさん、ありがとうっ!!!
エクストラ上海も頑張りましょう(笑)。
(02.01.27)
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