「松山はどーする?」
「俺、ちょっとこれからいくとこあんだよ。じゃあな」
主旨はなんだかったか。とるに足らない飲み会がようやく終わった。
二次会へ誘う声を背にし、さっさとその場を後にする。
終電に急ぐ人の流れを逆流し、夜の大通りを泳いでいく。
足取りは・・・重い。
日向と喧嘩してしばらく、口を聞いて無い。同じ屋根の下に住んでいると言うのに。
看板もなにもでていない、大きく重い扉を開けると地下へ続く階段。
薄暗い照明のむこうに、グルーヴに包まれた空間がまっている。
キャッシャーで金を払い、更に地下へ続く階段下に設置されたコインロッカーに荷物を放り込む。
大きな音の中、青白い光にぼんやりと浮かび上がる世界。
煙草の煙りと喧噪とに包まれたバーラウンジを通り過ぎ、真っ暗なフロアーに飛び込む。
爆音の中、ゆっくりと足をすすめるうちに目が慣れ、うっすらと人影がみえるようになる。
djブース横のスピーカー前で足をとめる。
体が痺れるような音の洪水。はじめてきたときは、鼓膜がやぶれるんじゃないかと本気で思った。なんでここにいるヒトタチは、平気な顔をしているんだろうと。
しかし、一度その音に身を委ねてしまうと、体を包み込む音の波がとても気持ちいいものだと気付いた。
自然と体が揺れはじめる。
低音のパーカッションのリズムに合わせてみる。
いつのまにか、自分だけの世界に入り込んでいく。
「おまえさ、一体何してきてんだよ」
「何が?」
「・・・何がって、こんな時間に帰ってきていう言葉かよ」
「別にいつ帰ってこようが俺の勝手だろうが。つーか、すっげえ眠いんだよ。寝るから静かにしててくれ」
1週間前。
いつものように朝までクラブで踊り倒し、ふらふらと帰宅した俺がドアを開けると、はじめて日向が起きて待っていた。
たいてい始発で6時前に帰っていたが、いつも日向は寝ており、俺はそうっと自分の部屋に入る。
昼過ぎに起きていくと、大方、日向はでかけていることが多く、とくにとやかく言われたことはなかったのだ。
「松山!!」
怒気のこもった声に、俺は面倒臭そうに振り向いた。
「別にお前が心配するようなこと、なんもしてねーよ。第一、お前に迷惑もかけてねーだろ?」
そういって、俺は自室の扉を閉めた。
ベッドに倒れこむ俺の背中に、日向が舌打ちをしてドアを蹴る音が聞こえたが、その扉は開かれることがなかった。
俺は、なにかを思い出しかけたが、気がつくと泥のように眠りについていた。
ジャズを中心とした選曲。
といっても、訳知りなオヤジが蘊蓄をかたむけるようなスタンダードのジャズでも、ピッチをはやくしたり、高速ボッサビートに被せたりする、いわゆるクラブジャズだ。
DJがジャズだと思えば、それはジャズ。ハウスやテクノっぽいのから、勿論ブラジリアンやラテンチューンまで、なんでもありの選曲で。
踊らせつつ、聴かせつつ。派手さはないが緩急おりまぜつつの選曲が俺は大好きだった。
あまりジャズ中心のパーティーをやる店は少ない。
そういう意味で、ここにはいわゆるナンパ目的の客は少なく、純粋に音が好きな、選曲が好きな人々が集まっている。
うっすら目を開けると、気持ちよさそうにみんなが踊っている。ゆったりとしたパートにあわせて踊る人、サンバのように体を動かす人、人によって様々だ。
額に浮かんだ汗を拭いながら、バーカウンターへ水を買いに行く。
エビアンのペットボトルを飲みながら、フロアへ戻ろうとすると、肩を叩かれた。
「ねえ、踊りかっこいいね」
見ると、ひっつめ髪のきれいな女の子がにこにこと笑っていた。
黒いキャミソールに白いフレアースカートで、ピンヒールの彼女は、いつもこのパーティーでみたことがあった。
大抵、まん中で気持ちよさそうに、ステップを踏んでいる子だ。
俺と同じかもうちょっと上くらいの年だろうか。
返事ができずに訝し気に突っ立ってる俺に、彼女が続ける。
「いつも、ずーっと踊ってるでしょう。すごく素直に動いてるなあ、いいなあって気になってたの。あんまり休まないよね?お酒も飲まないみたいだし」
「・・・踊りたくてきてるから・・・」
「ごめん、ごめん。急にびっくりした?ただ、君の踊ってるのみて、すごく気持ちよくなるんだよ、って伝えたかっただけだから」
「あ、ありがとう」
「あっ、Loud Minorityだ!!この曲大好きなの。踊ってくる」
俺も好きな曲だった。
吸い込まれるようにフロアに入ると、高速のピアノチューンに全身が包まれる。
いい曲だ。このピアノのフレーズがたまらなく美しい。
切ないメロディーに、涙がでそうになる。
踊っていると、日頃溜めているいろんな思いが沸き上がってきて、音と一緒に弾けていく。
体は汗が出るくらい熱くなっているのに、不思議と冷静に自分の考えと向き合うことができる。
だから俺は、言葉にできない思いがいっぱいになると踊りにくるのだ。
言葉を紡ぐかわりに、一心不乱に体を動かす。
なんだか無性に、日向の声がききたくなる。
そばにいてほしくなる。
今なら、素直にいえるのに。
日向!!日向!!!
日向と一緒に住んでいるものの、特になにがかわったという訳ではなかった。
いわゆる「つきあってる」という関係ではあったが、すれ違いの生活が多く、部屋もそれぞれ別々にあるため、単なるルームメイトといったほうがいいような毎日だった。
むしろ、別々に住んでいた時のほうが、体を重ねることも多かったかも知れない。
お互いの生活に干渉しないというのが、同居の約束だった。
当然の権利として、俺は日向に迫られてもなんだかんだ理由をつけて拒んだ。
今さらという感じもするが、毎日一緒にいるのにそればっかりになるのが恐かったのだ。
最初は日向も、しつこく言い寄っていたが、そのうちに何も言わなくなった。
冷えきった倦怠期の夫婦みたいだった。
たんたんと毎日が過ぎていく。
家は単に寝る場所なだけ。たまに同じ時間に家にいても、それぞれがTVみたり、風呂はいったり。あたりさわりのない会話をするだけ。
それでも、お互いに同居をやめようとは口にしなかった。
時計を見ると4時過ぎだった。
今日は昼から約束があったことを思い出し、早めに帰って少し休まないといけないと、ぼんやりとフロアを後にした。
休まず踊り続けていると、まるで一試合したかのような疲労感に包まれる。
しかし、サッカーと同じように、その疲れは心地よいものだった。
数時間前、俺に声をかけてきた彼女が、ラウンジの中央で、数人と話し込んでいるのが見えた。
常連なんだろう。このパーティー主催のDJとも親し気に話している。
横切ろうとした俺に気付いた彼女が、また声をかけてきた。
「もうかえるの?」
「うん」
「そっかぁ。じゃあ、またね。おやすみなさい」
「おやすみ」
「あ、待って!!あたし、ちひろ。貴方は?」
「・・・・ひかる」
「ひかるくん、またね!!」
なんで、名前をいったのかは分からない。なんとなく名字よりもいいような気がしたから。
ちひろちゃんに呼ばれた名前が、なんでだか胸に痛かった。
最後に、日向に名前で呼ばれたのはいつだったっけ。
店をでると、丁度夜から朝にかわろうかという、微妙な空気が満ちていた。
暗いような明るいような。鳥の声もまだ聞こえない。
大きく息を吸うと、いいタイミングで流していたタクシーを捕まえた。
つづく。