いつもの自分だったら、すぐさま払っているであろう日向の腕をほどくことができない。
けして力強いわけではないのに。
「ひゅうが・・・・・俺・・・」
ぽつりとつぶやいてみる。
今ならいえる。
でも、きっとこの爆音の中では、聴こえない。
案の定、俺の口の動きに気付いた日向が、背中越しから顔を近付け、俺の言葉を聴き取ろうと耳を寄せてくる。
俺はかまわずに、言いたかった、言えなかったことを口に出してみる。
「・・・・・・・・・・・」
「きこえねえよ・・・?」
「・・・・・・・」
「・・・・全然、わかんねえ」
果たして、静かなところで言ったとしても日向に俺の気持ちそのままが伝わるんだろうか。
『いわなきゃ伝わらない』と言うけれど、それは本当にそうなんだろうか。
俺と日向の間には、この曲のタイトルのようなアンノウン・ランゲージがあるのだ。
互いの言葉だけでは、それぞれの想いは伝わらない。理解できない。
気持ちとは裏腹のことをいったり、言葉を選び過ぎたり。
わかりやすいくらい単純なことを、ひどく難しく考え過ぎたり。
その、言葉の壁を埋めるのは、言葉ではないことがようやくわかった。
だって、日向にこうして触れられているだけで、それを受け入れるだけで俺の心はこんなにも穏やかになっている。
たぶん、日向にもそれは伝わっているだろう。
言わなくちゃいけない、ということに固執しすぎていたのだろうか。
言葉よりも雄弁に気持ちを伝える、簡単なことがあったというのに。
日向ははじめっから、それをもう知っていて。
俺が気付くのをずっと待っていてくれて。
ただ、一緒にいるだけでも幸せなんだっていう日向の漏らしていたらしい言葉が、また頭の中をぐるぐるして。
俺は、日向の腕をゆるりとはずし、向き合う形になった。
暗闇の中では、日向の表情を読み取ることはできない。
そっと欲望のままに、日向の顔に手を伸ばしてみる。
俺の突然の行動に、一瞬日向の頬がぴくりとしたが、されるがままにじっとしていてくれた。
引き締まった肌、ごつごつした顎のライン。
なにかを言いかけてるような、少し乾いた開かれた唇・・・。
曲がかわり、また徐々にアップテンポな流れになっていくようだ。
フロアに人が戻りはじめる。
それに逆らうように俺と日向の時間は止っていた。
全く音が聴こえなくなる。
ゆっくりと日向と俺の顔は近付いていき、深く重なった。
「おまえ・・・結構大胆なのな」
唇をはなした日向が、耳元で囁く。
はっ、とココが公衆の面前であることに気が付くが今さらもう遅い。
「どうせ周りのことなんか気にしてねーよ」
そういいながらも、慌てて日向を連れて階段の踊り場へ避難する。
フロアとラウンジスペースを結ぶ中階段は、真っ暗で下手をすると足を踏み外しそうになる。案の定、慣れて無い日向は一段踏み外しそうになり体勢を崩していた。
バツが悪そうに差し出された手を、思わず吹き出しそうになりながらもしっかりと握り返した。
ラウンジに上がり、更に進むと、ちょうどバルコニーみたいにフロア上部にでっぱった場所があって、ソファーが置いてある。人がやっと通れるくらいのスペースで、知る人ぞ知る場所だ。
大抵踊りっぱなしの俺だったけど、下で踊るヒトタチが見られるのと、座ってじっくり選曲が楽しめるのでたまに疲れると落ち着きにくる好きな場所でもあった。
既に朝方に近い時間帯なので、幸い他に人はいなかった。
どっかりとソファーに並んで腰を下ろす。
「松山」
「ん?」
「悪かったな」
「え?」
「前に、何しにいってるだとかいっちまってよ。それをこんなふうに、俺は・・・ついお前がどういうところにいるのか気になって、きてしまって・・・」
「・・・今日は仕事できたんだろ?」
「まあ、そういえばそうなんだが。反町がお前がここにきてるっていうから、行ってみろってな。行けばわかるっていうから・・・。それでスポンサー連中に連れきてもらったんだ」
「あぁ、そうなんだ」
前から言ってるように、別にやましいことなんかなにもないんだから。
だからこの件に関しては、興味無さそうに返事をする。
内心、わざわざ日向がクラブに足を踏み入れにきた、っていう事実に驚きを隠せない。俺のため?
「あの女の子が」
日向の指差した先に、ちひろちゃんが気持ちよさそうに踊っていた。
彼女がなんだっていうんだろう。
「一番音楽を楽しんでるのはお前だって教えてくれた」
「は?」
「最初、俺上にいたんだ。まわりはきゃーきゃーうるせえ女ばっかりだし、みんなだらだら酒飲んで喋ってるだけだし。松山はこんなとこにきて何が楽しいんだって」
「ラウンジはそういうもんだろ。俺いかねーもん」
「ああ。そうなんだってな。暫くしてもお前の姿見かけねーし、帰ろうかなと思った時にさあの子に声かけられたんだよ」
ちひろちゃん。やっぱりすげー子だ・・・。
こいつに声かけるなんて、なんて恐いもの知らず。
『日向小次郎さん、もう帰るの?』
『え?ああ、つまんねーからな』
『ちゃんと音楽しんだ?』
『音?この爆音のことか?』
『ここの音もいいんだけど、せっかくきたんだからちゃんと選曲聴いていってよ。気持ちいいよ。踊ると』
『・・・・俺、踊れないんだけど』
『うーんと、踊るっていうかね、音を体で受け止めてあげてほしいってことなのね。ほら、いっしょにきてみてよ』
「彼みたいにね、って指差したのがお前だった」
「・・・・・・・で?」
「確かにお前が一番、目立ってたよ。やっぱりやべえ!と思ったけどな。こんなところにいさせちゃいけない!!って」
「なんでだよ」
「踊ってる松山、すげー色っぽいんだよ。お前目瞑って踊ってるだろ。それがなんとも・・・」
ひどい言われようだ。そんなふうに見えてるのは日向だけじゃないのか?
珍しく饒舌な日向の弁は続く。
「でもな、ほんとに純粋にこの場を楽しんでる、それだけだっていうのは、素人の俺にもよくわかったぜ。だから、謝る」
「別に・・・謝ってもらうもんでもねえし。・・・・それよりも俺・・・」
一呼吸おいて、続けようとした俺の言葉は日向に遮られた。
じっと目を見つめられ、言いかけた言葉を飲み込む。
「松山は無理していわんでもいい。俺にとってはお前の言葉はUnknown Languegeそのものなんだよな・・・。それよりも、さっきの『ことば』の方がずっと真実だろう?」
考えていたことも同じだったようだ。あまりにも見すかされるみたいで、ぎょっとする。
また、言葉がでてこなくなって、仕方なく黙り込む。
だからなのか、なんとなく、俺の分まで日向が喋ってくれるように思えた。
「最初みつかんなくてなー。お前、あの曲しょっちゅうきいてたろ?俺と喧嘩した後は必ず。で、なんでだか俺も気になっちゃって。よくわかんねーけど、なんか・・・いい曲だよな」
「ああ、いい曲だよ」
「松山。俺はお前が好きだ」
「ああ」
「だからお前と同じ場所にいられるだけで、いいんだ」
「ほんとかよ」
「お前が嫌がることをしてしまって、疎遠になるよりは、いっしょにいられる時間の方が大切だ」
「・・・それは違うだろ?俺のせいみたいにしてよ」
「でも、したくないんだろ」
「・・・・・俺はぁ、それだけになるのが嫌なだけで・・・」
「まつやま・・・?」
「これ以上いわせんな、馬鹿!!」
「わからんかった。ちゃんと伝えてくれよ」
ようやく日向が、にやりと笑って俺の顎を持ち上げる。
俺も、挑戦的に睨み返しながらも、にっと唇の端をあげて笑った。
これでいいんだ。
言いたかった言葉の数ほど、キスをしよう。
言葉はどれも陳腐なんだ。自分の気持ちを表現できる言葉は何?
愛してる。もう逃げられない。
高速道路とビルの隙間から、遠く白みはじめた空の断片が見える。
朝特有のひんやりとした空気が、熱く火照った体に気持ちよい。
う〜んと大きく伸びをする。
横で日向は大欠伸だ。こいつはあんまり夜更かししないからな。
「眠いか?」
「ああ、ちょっと」
「どーする、メシ食って帰る?近くにファミレスあっけど」
「んー、腹も減ってるが・・・。なんせお預けくってるからよ〜。キス以上させてくんなかったし〜」
「ばっ、あ、あほ!!!あんなとこでやろうとすんな!」
「でもすっげえキスしてたじゃん。どうせみてないって言ったのお前だろ」
「が〜〜〜〜〜!!!!」
「ま、続きはこれからいくらでもできっからな飯行こう、飯!」
日向をどつきながらも、心の中がじんわりと温かい。
幸せは不意にやってくる。
それとも人は幸せな時にはそれに気が付かないものなのかな。
たぶん、今がそれなんだろう。
「ひかるくん!!」
振り向くと、ちひろちゃんが日向と並んだ俺にちょっと吃驚した顔をしつつも、手を振っていた。
俺も手を振り返す。
「またね!」
しばらくは、クラブにくることも少なくなりそうだ。
そう思いながら、少し先を行く日向の背中を追い掛けた。
/おわり/