水音で気がつかなかったのだが、風呂から上がると、日向が帰ってきていた。
髪を拭きながら、ぺたぺたと足音をさせてリビングへ向かうと、トランクをひっくりかえしている姿があった。
「片付けるんだったら、てめえの部屋でやれよな〜」
「・・・・・お帰りなさい、とか無いのかよ」
「ただいま、が先だろうが」
「相変わらずだな・・・。それより、俺のいない間に誰かきてたな」
「え?ああ、若島津と反町が泊まってったけど。でもなんで?」
「リビングが片付いてる」
「〜〜〜〜!!!!すいませんねえ、いつも散らかしてて!!」
むすっとしながら、キッチンにいき冷蔵庫をあける。
飲みかけのエビアンがないことに気付き、きょろきょろすると、がさごそやっている日向の傍らに既に空になったペットボトルが転がっていた。
「あ〜、全部飲んだな!」
ぽたぽと髪からたれる水滴が、床を濡らす。
床びしょびしょにすると、怒られんだよな〜と思いつつ、冷蔵庫を物色する。と、いっても自分も買い物にいってないのだから、わかってはいるもののつぶやいてしまう。
「ちぇ〜っ、牛乳もないでやんの!」
しょうがねーなーと、缶ビールの蓋をあけ、ぐびっと咽に流し込む。
ソファーに腰掛け、荷物整理をしている日向をぼうっと眺めた。
あんまり気にしたことなかったけど、日向がすごくくつろいだ顔してる。
にこにこ、にやにや、そういんじゃなくて、なんだか素っていうのかな。見た目というよりも雰囲気か?
確かに、俺も家が一番落ち着くんだけど。でも、今はなんとなく・・・だから。
なんか日向だけが余裕たっぷりで、俺だけが悩んでるみたいじゃんか。すげーむかつく。
ほぼガンをつけていた俺に日向が気付き、なんかを投げ付けてきた。
「いて〜なっ、なんだよ!!」
「ちゃんとお留守番できたお前にお土産」
「留守番ってなぁ!!」
ぶちぶちと文句をいいながらも、投げられた紙袋を開けてみる。
黒い皮の袋になんか入ってる・・・。うそっ!!コレ、B&Oのヘッドフォンじゃんっ!!!欲しかったやつだ・・・。
俺が欲しいの知ってて、わざわざ買ってきてくれたんだろうか。
「日向・・・コレ・・・」
おずおずと日向に問いかける。
ん?と顔を上げる日向が、妙に眩しい。やばい、やばいぞ〜俺!!何どきどきしてんだよ〜。モノでつられてんなよ〜!!!
「あ〜、それな。なんかお前さ、この前取材受けた時に、欲しいとかいってたんだって?今回の仕事、そんときの雑誌の取材旅行だったんだよ。同行してたライターが『松山さんに渡してくれ』ってさ。うれしかろ?」
「あっ、そ」
なんだ・・・。そうだよな。日向の前でいったことなかったもんな。
っていうか、こうやって話すの久しぶりだし。
結局いつも喧嘩してるっていっても、俺が話し掛けないから、日向も返事しないだけなんだよな。
そういう事実に気がつく度、自己嫌悪は増していく。
途端に、日向と一緒にいるこの場所の居心地が悪くなる。
ダメだな俺。結局逃げてるだけじゃん。
といいながら、足は自分の部屋へと向かってしまう。
また、日向に怒鳴られるか、黙り込まれるかどっちかかなと、内心びくびくしながらリビングをでようとする俺に、そのどっちでもない笑いを含んだ声がかけられた。
「もう寝るなら、俺のベッドまた使ってもいいぞ。いつでも」
いない間、日向の部屋使ってたこと、なんでわかっちゃったんだろう・・・。
日中、疲れている時ほど、踊りにいきたくなる。
真っ暗な中、細胞のひとつひとつに音符が入り込んでくるんだ。
快感、に近いものがあるかもしれない。汗かいて踊るとほんとにすっきりする。
でも、そこに何かがある、というわけではない。むしろ何もないから足がむくのだ。
踊るということよりも、単に純粋に音楽の中に身を委ねること。
同じレコードでも、部屋でそれこそヘッドフォンで大音量にして聴くのと、クラブでプレイされる音に包まれるのと全く違う。
それを体験したことのない人にいっても、分ってもらえないのが常で。
クラブっていうと、クスリやらナンパやら、そういう一部のブラックなところばかりがクローズアップされて、あたかも全てがそうであるかのような、事実と異なる情報が一人歩きしてるんだよな。
単に飲んで踊る場所なだけなのに、風営法とかなんとかで警察もたまにきちゃったりするし。
もっと取り締まらなきゃいけない場所が他に沢山あるだろうがっての。
・・・とか言ってもだ。同意してくれる人は周りにいないんだよ。
さみしい孤独な俺。
ねえ、わかる?若島津?
珍しく、酔いが回った状態で西麻布へ向かう途中の俺に、運悪く電話してきた若島津に一方的に喋りまくっていた。
日向とは相変わらずで、というか、日向はどうやら俺の出方待ちみたいなところがあるのが分かってしまった時点で、余計に俺は素直になることができずにいた。
これもストレスなんだろう。
解消する術として、サッカー以外では(っていうか仕事だし)踊りにいくことくらいしか思い浮かばず、朝帰りの日々が続いている。
「だからねー、もう、店につくからー」
「松山、あのね、日向さんがちょーど今お前がいってたこと気にして、電話かけてきたんだよ」
「へ〜?日向がぁなんだって?うおっと!!あぶねー、こんなところにチャリおいておくなよっ」
「なんかかなり酔ってんなぁ・・・・。心配だなぁ・・・・。で、話の続きなんだけど、最近おまえ頻繁にクラブいってんだろ?別に行くのが悪いとかっていうんじゃないけど、なんかあるんじゃないかって心配らしいんだよ」
心配ってなんだよ。前に何もないっていったじゃねーか本人に。
こんなに健康的なストレス解消はないってくらい、もくもくとひとり踊ってるだけなのに。
「そんでな、一応俺と反町で、松山に限ってそんなことはないっていっといたけどさ」
「・・・そんなことってなんだよ」
「ナンパされたりとか、したりとか、気になる人がいるから行くとか」
「ねえよ、そんなの!!」
若島津に怒ってもしょうがないんだけど、携帯をぶちっと切る。
すぐにまたかかってきたけど、無視った。
酔い覚ましに、一踊りする。
高速のドラムンベースは、普段は特にスキでもないけど、思いっきり体を動かしたい時はちょうどいい。
5曲分ほどフロアで暴れた後、バースペースのスツールにどっかりと腰掛けた。
普段は煙草はやんないんだけど、こういう場所にくるとたまに吸いたくなる。さっきかったばかりの箱をあけながらライターがないことに気付く。
そうすると無性に吸いたくてたまらない。
「あ、ちひろちゃん、ライターない?」
たまたま、フロアから出てきた彼女にきくと、すぐにライターを貸してくれた。
ちひろちゃんとは、ここ数回で、会えばあいさつしたり、あたりさわりのない会話をするようになっていた。
でもお互い、職業もなにも知らない。ただ名前だけ。こういう場所ではそれで十分。
「それ、あげるよ。もう一個持ってるから」
「悪いね、ライター忘れちゃってさ」
「ねえ、ひかるくん。今日って上いってみた?」
「上って、ラウンジのこと?」
「うん、なんか奥がね、貸しきりみたいになってるんだけど。珍しい人がきてたよ」
「何、げーのーじんサマかなんか?」
割と、この店にはおやっ、という芸能人や業界人が遊びにきていることが多い。
たまーにスポーツ選手とかもきてるようだけど、俺のようにもくもくと踊るってよりも、モデルの女の子に囲まれてたりとか・・・。
やっぱりイメージ悪いのかなぁ。
たまーに俺もファン視線を感じることもあったけど、声かけてきたのは、今の所ちひろちゃんだけだった。
サッカーとは切り離したところで遊びにきてるから、ありがたいことではあった。
「あたしね、あんまりTVとかみないから、世間のことにうといほうなんだけど、あの人は知ってたの〜。」
「誰?」
「日向小次郎」
「うそっ!!」
ね、めずらしいでしょと、ちひろちゃんに手を引かれるまま、ラウンジに上がり、そうっと奥を覗いてみる。
見慣れた、背中がソファー越しに見えた。
なんであいつが此処にいるんだよと、一緒にいるメンバーを見渡す。
どうやら、日向がこんどやるCMのスポンサーと広告代理店の奴ららしい。なんでかというと、半分がこの場にそぐわないリーマン風スーツ軍団だったからだ。
たまにこういう接待系に使われてることもあるみたいだけど。
「私の彼ね、今度あの人の写真とるの」
「ああ、それで日向のこと知ってたんだ」
「うん。すごくね、楽しみにしてるやりがいのある仕事らしいの。それでなんか自分までうれしくって。ごめんね〜休んでたのに」
思わず俺にみせにきてしまったということか。無邪気に笑う彼女が可愛い。
内心、日向が側にいるってことに動揺してたけど、つられて笑みがこぼれてしまう。
好きな人のことを好きって言えるって、いいなぁ。
俺にもこうなれればいいんだろうなぁ・・・。
バカのようにいつまでも覗き込んでていても、日向に見つかる恐れもあるし、早々にフロアに戻った。
一瞬、帰ろうかとも考えたけど、あの調子だとヤツらが下まで降りてくることはなさそうだ。
それに見られてやばいもんじゃなし、俺は勝手に踊らせていただくとしよう。
知らぬ間に二時間くらいたっていたようだ。
DJが交代し、フロアに枯れた男気くさい選曲が流れる。
踊らせる曲もいいが、こう、まったりと聴ける曲を回してくれるのもジャズ系のいいところだ。
ゆったりと体を動かす。すっかり日向のことは忘れていたのだが・・・。
聞き覚えある、イントロ。
シンプルなパーカッションにかぶさるように、ギターの調べがじんわりと響きはじめ、ピアノの切ないメロディーが重なり、しっとしとしたスキャットが・・・。
もとはといえば、この場所ではじめて聴いて、一度でスキになった曲だ。
音をたよりにショップで試聴しまくりようやく買った。
『異国の灰色の広場
人々が話す未知の言葉
ひとりの男が現れて
彼は手を差し伸べる
私は既にもうずいぶん長い間眠りすぎた
私は既に、こんなに遠くにきてしまった
金色の波
風の色、
羽の夢
そんなことを私達は話した』
前半は詩はない。
後半、英語でこんな意味のボーカルが入る。
意味なんかわかんなくても、なにか、こう、心に響く曲だった。
もっていきようのない思いに、胸がぎゅうっとなるさまが音になったように、自分には感じられた。
不思議とじんわりと涙が溢れてくる。
ああ、この曲は・・・・。
「Unknown Languageだな」
真っ暗なフロアの片隅に立ち尽くす俺の体を、後ろからふわりと日向が包み込みこんだ。
大音量でもきこえるよう、耳元に口を寄せると日向はそのタイトルを囁いた。