「ど〜〜〜してお前はいつもそうやって急に来んだよ!?」
ここは北海道。富良野の松山家最寄り駅。
案の定、駅に出迎えてくれた松山は、眉間に皺を寄せながら息を切らせて叫んだ。
ちょっと連絡を入れたのが遅かったらしい。
そりゃ、急に来た俺も悪いんだが、もうちっと嬉しそうな顔くらいできないもんかね。
俺はやかましい松山を無視して、空を仰いだ。
まるで雲を焦がしてしまいそうな、真っ赤な夕焼けが空に広がる。
北海道特有の乾いた風は、夏の匂いがする。
半年ぶりに見る松山の顔は、夕焼けに染まって少し大人びて見えた。
言いたいことを言い終えた松山は、溜め息まじりに俺の荷物を持って歩き出す。
「しゃーねーだろ。オフがとれたのも急だったんだ。んで、居ても立ってもいられなくなって、来ちまった。」
「……んっとに、思い付きだけで行動する奴。取材とか、捕まっただろ?」
「あ〜、成田に少しな。俺サマが日本で何しよーが勝手だっつーの。」
「あほ、天下の日向小次郎が何言ってンだ。帰って来る早々、こんなトコにいるって知られたらまずいんじゃねえの?それに実家の方とかもさ……。」
「相変わらずだな〜てめぇは。人のことばっか心配して。お前が楽しみに待ってる、なんて言うから来てやったのに。」
「はぁ〜??いつ俺がそんなこと言ったよ!」
「ああっ、これだよ…。つれない恋人持って、なんて可哀相な俺っ。」
「おいっ、気持ち悪い仕草すんな!いつ言ったよ、教えろ!!」
「………ほんとに忘れてんだな……。まあ、もう7月も終わりだしな。」
「?」
「…ほら、お前の誕生日の晩に電話で。」
「え………?………あっ…!!////」
どうやら思い出したらしい。
夕日のせいだけじゃない。松山の頬が、なんかのメーターみたいにぐんぐん赤くなる。
そう。松山のバースデーを一緒に過ごしてやれなかった俺は、俺自身をプレゼントにしてやるなんて冗談まじりに、いや、八割方本気で松山に伝えた。
松山はバカにしたが、電話を切る間際に小声で確かに言ったんだ。
『プレゼント、楽しみにしてるから…』、と。
滅多に想いを口に出さないコイツが、そんなことを言ったんだ。
電話口の向こうの松山の表情を想像して、俺は正直、浮かれる気持ちが押さえられなかった。
俺はニヤニヤしながら松山の横顔を見つめる。赤い顔をしながら、ちらっと横目で俺を見る。
「おっおっお前……。まさかその為だけにイタリアからこんなトコまで〜〜………。」
「そう、こんなトコまで♪」
「〜〜〜〜!!悪かったな!こんなトコで!!…つーか、信じらんねー!正真正銘のアホだお前っ!!」
「(ムカッ)……そのアホが来て喜んでるお前こそ、アホアホじゃねえか。」
「喜んでなんかいねえ!アホ×3!!」
「てめ〜〜、いい加減素直になれってんだ!アホの10乗!!」
「10乗〜〜〜?てめー、日向のクセに物知ってんじゃねーか!」
「なんだと〜# 松山のクセに口ごたえするなよ。」
「きさま…………」
「やるか、てめぇ。」
相変わらずの生意気な恋人に、俺の頭の血も沸点に達しようとした瞬間。
「ねー、あれってコンサの松山選手じゃなーい?」
「うそー!ホントだ〜!!ねえ、一緒にいるのってまさか、日向小次郎…?」
「えぇ〜、まさか〜。日向が北海道にいる訳ないじゃん。」
「だよねえ…。でもぉ〜クリソツなんだけど〜〜」
女の黄色い声が耳に飛び込んできた。騒ぎになったら流石にまずい。
松山を見ると、やはり同じことを思ったのだろう。目で合図して、俺たちは1、2の3で競歩のごとくその場を離れた。(走ると余計怪しいので)
駅前の商店街を抜け、人の少ない住宅街に入る。
「ふーーー、あぶねえ;;」
「お前がでかい声出すからだろ、っとに。」
「お互いさまだろが……ん?今日って祭でもあるのか?」
近くで祭り囃子が聞こえる。そういえば、さっきの女の子達も浴衣を着ていたのを思い出す。
「ああ…町内のな。近くの神社でやってんだ。小さいけど、花火大会もやるんだぜ。」
「ふうん……おい、せっかくだから童心に帰って遊びにいかねえか?」
「はあ?人ごみ行ったらヤバくねえ?」
「ばっかだな…人ごみのが案外気付かれないんだよ。」
「………納得いかねえけど。」
辺りは夕日が沈み、夜が来ようとしていた。祭り囃子に混ざって、虫の声が聞こえる。
畑に植えられた向日葵は、太陽がいなくなってもなお、背筋を伸ばして天を仰ぐ。
夏の風が頬を撫で、どこかの家から風鈴の音色が響く。
外国生活が長くなってきた俺にとって、郷愁の念にも似た思いが胸に沸き起こる。
戸惑う松山の手を引いて、俺は音のする方へ走り出した。
神社への道は、ちょっとした賑わいを見せていた。露店の裸電球が懐かしさを煽る。
祭りに向かう人波は、まるで誘蛾灯に誘い寄せられる虫達のようだ。
松山の耳にそっと口を近付ける。
「いいな、こういうの。」
「……そうだな。」
珍しく素直な答えが返ってくる。目が合うと、ニッと口端を上げて笑う松山の笑顔につられて、俺も微笑み返す。
本当に、久しぶりだ。こんな穏やかで、懐かしい時間。
隣を歩く松山の瞳に、色とりどりの堤灯のあかりが映って綺麗だ。
来て良かった。
理由はなんでもいい。俺は松山に逢いたかったんだ。
年に数えるくらいしか逢えない関係。だから逢えた時くらいは。
今日を、忘れられない日にしてやりたい。
そんな風に思った。
「おい、なにボケッとしてんだよ!」
「うおっ、冷てっ!」
「一人で世界作ってんじゃねーよ。ホラ、行こうぜ。」
いつの間に買ったのか、松山はこれまた懐かしいラムネ瓶を二本持っていて、俺の頬にそれをあてて笑った。
こんにゃろ、と追いかけようとした瞬間、また邪魔が入った。
「あらっ?光くんー?珍しいわね〜お祭りに来てるなんて!そちらはお友達?……アレ?まさか……」
「あっ、あーーー!!お久しぶりです!たまには祭りもいいかと思ってっ…。」
「あの、ひょっとしてそちら…」
「あー、ちょっと友達が来ててっ;じゃっ、ま、そゆことでっ!」
松山は慌てふためき、俺の手を引いてそそくさとその場を後にした。
そっか、町内だもんな。しかも、こいつも俺もある程度有名人。
やっぱり祭りは無理があったか?
俺たちは笑いながら神社の石段を駆け登り、境内の裏手に姿を隠した。
「はっ、はははは!なんで俺たちさっきから逃げてんだろーーー!」
「うははは!面白れえなースリルあって!なんか悪戯した小学生み
たいな気分だぜ。」
「あのな〜〜!!面白がってんじゃねーよ、もう……」
「さっきのおねーさま、ご近所さん?」
「ああ、佐々木さんっつって3軒先の…。俺んちねーちゃんの同級生なんだ。」
「俺の面、割れたかな。」
「割れただろ、あの様子じゃきっと…絶対、姉キに電話かけてるよ〜〜〜。」
「サイン責めは覚悟だな。」
「甘い顔しない方がいいぞ。俺は前に色紙100枚書かされたことあっから。」
俺たちは顔を見合わせて、同時にぶっと吹き出した。
「ははっ、何でもいーや、もう。ほら、ラムネ。」
「おう。」
境内の裏は薄暗く、かすかに表の堤灯や月明かりが差し込んでくる。
祭り囃子や喧噪が遠くに聞こえる。
草木が鬱蒼としていて、周りの眼からはどうやら逃れたようだ。すぐ側では虫が鳴いている。
シポッ、シュワワワ〜〜と、ラムネを開ける音が響く。
松山は、溢れた泡を慌てて口で押さえる。瓶をくわえようとした瞬間に覗いた赤い舌に、俺は思わず見入った。
「ぷはーーっ、うめー♪どした?日向??飲まねえの?」
黒く済んだ瞳をくるくるさせて、松山は俺の顔を覗き込む。
これだ、この瞳にヨワイんだ・・・。
俺の感情の波を押し止めるものは、そこには存在しなかった。
勢い、松山の身体を抱き締める。
それまで騒がしかった虫達が、急にダンマリを決め込んだみたいに鳴くのを止めた。
「おいっ、日向………。」
「大人しくしてろよ。」
耳たぶを軽く噛むと、松山は身を竦ませて眼を閉じる。
はねっかえりの生意気松山。
意地っ張りだし、全然素直じゃない。
がさつで口も悪くて、おまけに手も早い。
でも。
結局、俺の我侭をいつも受け入れてくれる松山。
言葉では語らなくとも、その大きな瞳で語りかけてくる。
俺が、好きだと。
これは自負じゃない。だから俺も答えるんだ。
お前が、好きだと。
ゆっくりと開かれた松山の瞳に、俺が映っているのが見えた。
「日向……?」
吸い込まれるように、顔が近付く。
俺たちの、半年ぶりのキスはラムネの味がした。
「ちょっ…ちょ、ちょ、ちょっと待て。日向!」
「……なんだよ…。」
「こんなトコでするなって!!家近いんだからさ〜〜」
「いいじゃねえか。見てるのはお月さんだけ。聞いてるのは虫だけだ。」
「あほっ!何言って……んっ…」
「せっかくのプレゼントだ。いつもと同じじゃ物足りねえだろ?」
「あ……だって人が来たら……」
「平気だって。みんな祭りに夢中だ。」
俺はお前に夢中♪と、ふざけて言ったらゲンコツが飛んできた。全く、手の早い奴………。
見ると、口を尖らせて真っ赤になっているようではあるが、まんざらでもなさそうだ。
俺はクスリと笑って、再び松山の首筋に唇を落とす。
時折、遠くで笑い声が聞こえる。祭り囃子に混ざって、カラコロと下駄の音が境内に響く。
今まで黙っていた虫達がいきおい騒ぎ出したのは、月明かりに照らされた松山の素肌の所為だけだろうか。
濡れた吐息と草の匂いで、俺は熱に浮かされたように、深く深くその身体へと沈んでゆく。
触れる汗と汗が心地良い。
突如、明るくなった夜空と遠くで上がる歓声が聞こえた。
どうやら、尺玉花火が打ち上げられたようだ。
「花火大会か。」
「スゲーー、星が降ってるみたいだ……。」
松山が眼を輝かせて空を見上げる。背の高い木々の切れ間から、本当に星が降ってるように見えた。
松山のさっきより紅を増した唇が、目の前に浮かび上がる。
「観に行くか?」
そう尋ねた俺に、松山は悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
「ばーか、この状態でどうやって観に行くワケ?」
そう耳もとで囁いて、俺の首に腕を回した。
大きな尺玉花火の音で笑い声も吐息も、かき消される。
星が降る。星が消えてゆく。俺たちの身体は夜と同化した。
*******
「忘れられない想い出になったろ?松山。」
「…………確かにな…………。」
松山は12個、俺が9個。なんの因果か、俺たちは全日本背番号と同じ数だけヤブ蚊に刺されて、帰路についた。
「大体、お前があんなトコでもよおすから……」
「あん?俺だけのせいかよ。責任はお前にだってある。」
「ウルセ〜、あーーっ、もう!全身かいい〜〜〜!!!」
「キスマークと区別つかねえな。調度いいじゃん、はははは。」
「きさま〜っ。……ところでなんでお前、平気な顔してんだ?」
「ふん、俺サマの身体は頑丈に出来てんだ。」
「………それって頑丈じゃなくって、ただの鈍感て言うんじゃねえの。ひゃははは!」
「ウルセエ!」
俺は松山を追い掛ける。夏の夜風が肌に心地良い。
ふと空を見上げれば、ホラ白鳥も舞う夏の夜空!!
理由なんか何だっていい。
俺はただ、お前に逢いたかったんだ。
なあ、松山。
お前だってそう思う時くらい、あるだろ?
_end._