病院へいこう(1)

 
 


 <日向小次郎の理由>

 今にして思えば、アイツの調子は確かに一週間前くらいからおかしかった。
 普段は別々のクラブチームでしのぎを削りあう選手達が、先日行われた某国との親善試合のため全日本メンバーとして召集され合宿を行った。
 松山とは一つ屋根の下で暮らしていたが、お互いすれ違うことも多いしましてや一緒にサッカーなんていう時間もない。久しぶりに同じボールを追い汗を流すこの時間は貴重なものだった。
 練習中のミニゲームでボールを操るその動きは、いつもとかわることなくボールカットに向かってくる敵を上手に避けて最前線の俺に、的確なパスを送ってくれた。
 しかしちょっとしたゲームが止まっている瞬間や、練習後、ロッカールームへ向かう途中など、松山の手は無意識に腹を摩っているようだった。
 ふと何度か視界に入ってしまった松山のその仕種に、なんだ、腹でも壊してるのか?と一瞬気になったものの、それ以上その時追求することはなかった。たまたま同じ動きが重なっただけなんだと―――。

「あれ?もう食べないんですか?」
「んー、ちょっともういらねえ・・・ってカンジ。なんか最近腹痛くてさー」
「ええっ!松山さん大丈夫ですか?薬飲んでます?」
「いや、でもすんげえ痛いとかじゃねえから大丈夫」

 合宿所の食堂で、最近なにかと松山にひっついている新田が、皿に食事を食べ残したまま盆を片付けようと立ち上がった松山に声をかけているようだった。
 監督とのミーティングで少し遅れて食堂へ入っていった俺の耳にそのやりとりが入ってきた。
 ほんとに珍しい。松山はまわりがびっくりするくらいよく食べる。
 しかし、もともと太らない体質なのかそれだけ食っていても、ウエイトはなかなか増えないらしい。実際それがアイツの悩みらしいけど。相撲取りじゃねえが、無理して食っている時もあるようだ。
 そんな松山がメシを残すんだから、新田でなくてもびっくりだ。
 大丈夫といいながら片手で盆を持ち上げた松山は、それを片付けるためにカウンターの方へ歩いていく。また空いたほうの手が、腹を摩っていた。


 今回の合宿では松山とは部屋が別々だったため、その件については本人に確認することもないまま終わった。
 練習の合間や、フリーの時間に話すことは沢山あったのだけれど、その時はいつもとかわらぬくるくるかわる表情で、今日の動きがどうだっただのベラベラと話し掛けてくる松山に、すっかり聞きたいことを忘れてしまった。
 親善試合は1ー1の同点。まあ、相手国のランキングと今の全日本の状態からいえば、妥当な結果だったといえる。
 松山も俺もスタメンで90分間、最後まで走り抜いた。
 汗に光る額を拭いながら、松山がお疲れ、というように笑いながら肩を組んできた。どこか調子が悪いなんて、その笑顔からは微塵も感じることはできなかった。
 
「よーやく終わったな」
「ああ、これでオフだな」
「明日ひさしぶりにみんなで飲まねえ?まだ東京に泊まっていけるんだろ?」
「そーだな、久しぶりだし打ち上げつーのもいいかも」
「じゃあ、反町仕切れよ」
「えー俺なのー?」

 丁度、リーグの方も今季は終了となっており、この後は久々長いオフへと入ることになっていた俺達だった。合宿の荷物を片付けながら、翌日は飲み会、という風に決まってしまった。
 松山と俺達の家へ帰った。
 バッグをリビングに放り投げると松山が、そのまま床に転がった。

「おい、ちゃんと片付けてからにしろよ」
「うーん、後でちゃんとやるー」
「なあ、夕飯どうする?なんか食ってくればよかったか」
「あ、俺いらねー。腹すいてねえの」
「あんだけ動いたのにか?」
「・・・あのさ」
「なんだ?」
「やっぱいい」
「?」

 そういって松山は寝転がったまま、黙ってしまった。
 暫くして、腹の減っていた俺は適当にパスタを茹でて食いはじめた。一応、松山が急に欲しいと言い出すことも考慮して少し多めに。
 しかし、あれから一度部屋に戻って着替えた後、またリビングでカラダを丸めて転がっていた松山は、ウマそうな食事の匂いにも起き上がってこない。
 それどころか、ごろごろと右に左とそのままの姿で転がっている。

「なにやってんだ?」
「あー、やっぱ痛いかもしんねえ!!」
「え?」
「なんかさー、ずっと腹痛かったんだよなー。今、今までで一番痛え・・・かも?」
「お、おい、大丈夫かよ?どこが痛いんだ?」
「このへん・・・」

 そういいながら、松山は腹を摩る。ふと俺は頭に閃いた。

「右の下の方じゃねえの?」
「なんで?・・・わかんね。痛いっていえば痛いかもしんない」
「盲腸ってお前やってる?」
「盲腸?いや、違うだろ。だってアレってすっげえ痛んだろ?俺、いま我慢できねえほどじゃねえしな。なんだろう風邪かなぁ。食い過ぎとかじゃねえもんなー。そーいえばだるいし」
「薬飲んでんのか?」
「いや、だって薬不味いし」

 おい・・・。

「もしさー、俺が夜中にもっと苦しんでたら救急車呼んでくれよ」
「やっぱり痛いんだろう!」
「だーかーらー、もっと苦しんでたら、だよ。そんなに痛くねえもん」



 ごろごろ転がっているものの、割とふつーに言う松山の声に深刻さはなく、まあそんなもんなのかと思いながらその晩は何ごともなく明けた。
 気になって、夜中に数回松山のベッドを覗き込んだが、苦しんでる様子もなく平和な寝息が聞こえただけだった。
 やかんでお湯を沸かしながら朝刊を読んでいると、松山がのそのそと起きてきた。

 
「腹、どうしたよ」
「ん、もう昨日みたいに痛くねー。やっぱ風邪からきてたのかな」
「どうすんだよ。今日の飲み会。」
「あー、そうだっけな。行くけど・・・一応先に医者いっておこっかな。あんまりコレ続くのもな」
「そうしたほうがいい」
「そだな」

 そういうと松山はすっかりどこが悪いのかもわからないくらいの明るさで、自転車に跨がると近くの総合病院へ出かけて行った。午前9時。
 初診で時間がかかるとはいえ、午前中には帰ってこられるだろう。
 夕方からの飲み会までに俺は久しぶりに部屋の掃除でもしておこうと、松山の背中を見送って一つのびをした。




 10時半頃、ふいに電話が鳴った。
 
「はい」
「あ、俺〜。いま病院j」
「おう、どうだった?診察終わったのか」
「午後手術だって」
「はぁ?」
「帰っちゃダメっつーんだもん。悪いけどオマエきてくんない?」

 なにを言ってるんだ松山は。突然の電話の内容に俺の頭は混乱する。
 もっとちゃんと説明してくれ!!

「なにがどうなってんだ」
「あ、ごめんごめん。俺さ、風邪じゃなかったんだよ。あははー」

 あはは、じゃねえだろ。

「盲腸なんだって。今全然痛くねえのにさー。なんか午後一番に手術するんでこれから検査とかあんだって。ウチに一度かえっていいですか?って聞いたらダメっていわれちまって。」
「盲腸・・・手術・・・。そうだ、おまえ、クラブに連絡したのか?実家は?」
「うん、これからする。とりあえず家族か誰かって言われて、東京じゃおまえしかいねえから。頼むなー」

 わかった、と答えて受話器を置いたものの、すぐに動くことはできなかった。
 母ちゃんが倒れた時以来の衝撃だ。いや、本人が笑って電話してくるっていう異常な事態にある意味あんとき以上かもしれない。
 まあ、とりあえず松山は苦しんでいないみたいだから・・・イイのか?いや、よくねえよ!手術だぜ、手術!
 どーなってんだいったい。
 慌てて必要と思われるものをまとめると、俺は急いで病院へ向かったのだった。