萎れた花はもう、もとに戻らない。
昂揚していた気持が急激な早さで落ち着いてくる。
俺はふらりと立ち上がって、部屋の中に引き入れていたサボテンの鉢を再びベランダの隅へと置いた。なんだか自分の気持と同じように勝手に膨らんで盛り上がったサボテンの花。暫くはその姿は見たくない。
結局一晩寝ずに過ごしてしまった。
眠ってしまえば、少しは楽になるだろうか。寝室のベッドに潜り込む。無理矢理目を閉じる。
体はだるく眠りを求めているというのに、もう少しで眠りに落ちそうになる度に堂々回りの思いが頭をよぎり、ふっきるように寝返りを何度も打つ。
ちゃんと日向に伝えればいいだけのことだろう?たまたまタイミング悪くこなかっただけじゃないか。
でもあいつはもう、「必要無い」って言ったんだ。それは俺という存在は日向に必要ないってことだろう?結局いいようにカラダ使われただけなんだ。
そんなの俺が勝手におもってるだけじゃねえか。もう一度電話してみろよ。日向とはなしてみろってば。あんだけ彼奴が本気できたから、俺は受け止めたんだろう?
案外、そのうち日向の方から電話あるかもしれない。もうちょっと待ってよう。
そもそも同情と好奇心もあったんだろう?男と寝るなんて経験、ふつーはできねえんだからよかったじゃん、俺。これからは普通に女の子探せばいいんだ。そうだ反町に連絡とれよ。
俺の中で、いろんな俺がああでもない、こうでもないと主張する。どれもこれも俺の素直な気持なだけに、やみくもに混乱させる。
ああ、ほんとに少し眠らなきゃ―――。
いつの間にか眠っていたらしい。時計をみると最後に時間を見てから1時間半くらい後になっていた。
全然頭はすっきりしないけど、もう、どうでもいいやという気にはなっていた。
だいたいぐだぐだ悩むのって性にあわねえんだよ。それがましてや色恋沙汰でもって相手が日向。なんだか腹が立ってきた。
ウチにいても苛々が増すだけだ。街にでも出てぱあっと買い物でもしよう!
一秒でも早く部屋をでようと、俺は急いで着替えた。
笑っちゃう程の青空が広がっていた。
ほんとに雲一つなくて、日射しがきつい。こういう日は、なぜだか日向を彷佛とさせる―――。
人の波に飲み込まれながら、ふらふらと街を歩く。特に目的があるわけでもないから、適当に目についた店にはいって、何かしら店員に勧められるまま商品を買っては出てくる。Tシャツ、パンツ、靴・・・。今日の俺は、思考能力がゼロだ。店にとってはいいカモになってるかもしれない。
気がつけば両手にショップの紙袋。あ〜あ、なにやってんだろうな。
そう思いながらも、前方のファッションビルに引き寄せられるように横断歩道を渡っていた。道路に面したガラス窓に、行き交う人の姿が映っている。
背の高い男の腕に自分の腕を絡めているのがまるで、しがみついているように見える女の子。楽しくて仕方がないというふうに、相手を見上げて笑いながら話し掛けている。そんな様子をしょうがないなぁと苦笑しながらも、彼女の荷物だろうか。大きな袋をいくつも提げている男の姿がふいに映った。
その見知った顔に、俺の足は止まった。
日向だった。
どうする?声かけるべきか?なんて?
『よお。昨日待ってたのにこれなかったのはその子のせいか?』露骨すぎるか。じゃぁ『よかったじゃん、人並みになれて』嫌味だなこりゃ。『ひさしぶり、日向』久しぶりでもないじゃんな・・・。
ふたりの影はどんどんこちらに近付いてくる。
もう、なるようになれだ。
「松山!」
先に声をかけてきたのは日向だった。
女の子になにか耳打ちすると、日向一人で小走りに俺の前にきた。
「・・・よお」
「電話悪かったな」
「いや別に」
「なんか急に切れちまったけど、昨日じゃないとダメだったのか?」
「なんでもねえよ、もう・・・お前には関係ねえし」
「そうか」
そういうと日向は押し黙った。正直、日向が俺のウチへ来なかったことへの弁解があるのかと期待していた。しかし見事にそれは裏切られた。
逆にそんな弁解がなかったことで、彼女と二人連れの日向をみても、すっかり怒りとかは感じなくなってしまった。
ただ、やっと気がついた日向への想いは俺の心の中には残ったままで、なんでもない口調で話してはいるけれど、少しは痛みを感じてる。でももう遅いんだよな・・・。
女の子は、ショーウィンドウをひとり眺めて、俺のところにきている日向を待っている。
昨日の電話の子だろうか。思ったよりも若い子だった。とても美人とか可愛いというわけじゃないけれど、明るく元気そうな子だった。普通で可愛い。日向とはある意味お似合いかもしれない。
「・・・待たせておくの悪いんじゃねえ?」
「え?ああ、いいんだ」
「もう、日向も俺に用事ねえだろもう。じゃあな」
ここしばらくの俺達がたまたまイレギュラーだったんだ。これまでどおりの日向との関係に戻っただけだ。
俺は、軽く右手を上げると雑踏の中に足を踏み出した。
「松山!」
日向の声。
その声に、女の子が日向の側へ駆け寄るのが視界のはしにみえた。そうだ、引っ越しおめでとうとかって言ってやればよかったかな・・・。でも俺、ヤツから引っ越したってきいてねえもんな・・・。
歩き始めた俺の背に、彼女と日向の会話が聞こえる。
「ちょっと!まだちゃんと言ってないんじゃないの?一緒に住むんでしょ?なにやってるのよ」
「・・・いや・・・」
「もう〜〜〜〜!!ほらどんどん行っちゃうじゃないの!早く!」
「・・・悪いな」
日向がこちらに駆けてくるのを感じた。
やっぱり・・・聞きたくない。知らないままでいる方がいい。日向から直接きいてしまったら、せっかく何もなかったように話せてたのに、取り繕えなくなってしまう気がする。
俺は、全力で駆け出した。
昨日の今日だ。まだダメなんだ―――。
人にぶつかりながら、日向に追い付かれないように、必死で走った。
走りながら鼻の奥がつーんとしてくる。くそう!泣いてねえぞ!ただ、息が苦しいだけなんだ!!
やみくもに走っていたら、知らぬ間に人込みから離れてしまった。こんな都会のまん中なのに、ちょっと道をはいると民家が結構残ってるもんらしい。住宅街に俺の走る足音と、追い掛けてくる日向の足音がこだまする。
もう、いいかげん諦めろよ!どうしても俺に伝えたいっていうんなら、別の日にしてくれよ!彼女おきっぱなしにしていいのかよ!しらねえぞ!
こちらもあちらもプロのサッカー選手だ。走ることに関しては苦にならない。
持久力にかけては俺は自信もある。スピードだって日向と俺はそんなに変わらないはずだ。
ただ、今日の俺は両手に荷物だ。紙袋が風の抵抗をモロにうけて負荷になってしまっている。日向も荷物を持っていたはずだが、それは彼女のところに置いてきたらしい。だんだんと日向の息の音が後ろに迫る。
「・・・っ、まつや・・まっ!!」
日向の手ががっしりと俺の腕を掴んだ。
仕方なく俺は走るのをやめた。
心臓がばくばくいっている。はぁはぁと呼吸が荒くなる。ちくしょう、早くいいやがれ!!
「・・おま・、昨日から・・・なんか変だ」
日向もまだ呼吸が整わないのか、言葉が途切れ途切れになっている。掴まれた腕が痛い。
「痛絵よ。手・・・はなせよ・・・」
「はなしたらまた逃げる」
「逃げねえよ」
「もう、この手は離さねえ」
何いってんだよ。この台詞も今日じゃなかったら、どんなにか俺に響いたか。しかし今となってはな。
「・・・もうさ、俺のことはいいからよ。お前はお前でちゃんとやれよ」
「何、言ってるんだ?」
「もううちくる必要ねえんだろ」
・・・なんで俺から言わなきゃなんねえんだよ・・・。
「そう、そのことなんだが。もっと早く言おうと思ってたんだ」
「・・・決まってたんだ」
日向がそんなに早くから決めてたなんて思わなかった。やっぱり俺は単なるカラダ目当てだったんだろうか。ふがいない俺。じわりと涙が浮かんでしまう。
もうもうもう!!!
「おい、松山?ど、ど、どうした?」
焦ったように日向が俺の顔を覗き込みながら、指で浮かんだ涙を拭おうとする。もう、そんな優しい態度はやめてくれよ!!!俺は、その手を避けるようにカラダをひねった。
「はっきりいえよ!お前はいつもまどろっこしいんだよ!!もう、こんなのは沢山だ!!!」
「す・・・すまん」
数十秒の間。日向が話しはじめるまでの時間がとてつもなく長く感じる。
ようやく日向が口を開いた。
「俺、引っ越したんだ。昨日・・・それで・・」
「だからもう俺のウチにはくる必要がねえってことなのか」
「それで・・・その・・・決めてたんだけどよ、いいそびれちまって。実家からようやく出られることになったのにな。・・・松山には落ち着いてから伝えようと思ってたんだ」
「・・・・・」
「昨日は、引っ越しだったから出られなくてよ、手伝いにもきてもらってたし」
「・・・だったら俺も手伝いにいってやったのに・・・」
日向が自分のパンツの後ろポケットをごそごそやると、なにかを掴んで俺の手に握らせた。
開いてみると、家のカギだった。
「・・・なんだよコレ」
「松山のカギ」
「は?どこの?」
「俺のうち」
「・・・意味わかんねえ」
「だから松山のだ」
「お前、さっきの彼女とこれから住むんだろ?なんで俺にカギ渡すんだよ」
「え?なにいってんだ?彼女?そんなのいるわけねえだろ。俺は松山じゃないとダメなんだから」
「・・・・・?彼女・・じゃねえの?」
「さっきの・・・ああ、あれ妹。俺の妹。直子だけど・・・?」
「昨日電話口にいたのって・・・・?」
「うちの兄弟と若島津、反町」
「・・・・えっと・・・・」
まてまてまて!!整理するんだ俺。
日向が実家でた。引っ越した。彼女じゃなくて妹さんだった。だから昨日これなかったのはそれで解決。
でもうちにこなかったのって『必要ない』っつーのは?
「今まで、松山んちに行かせてもらってたけど、ようやく俺も自分の城が持てたから、これからはもう必要ねえだろ。一緒に住むんだから」
「な、な、なにぃ?」
「あ、その、悪い。えっと・・・俺んち広いんだ。松山の部屋もあるから一緒に住もう」
「・・・・そういう大事なことって、事前に言うもんだろ・・・・」
俺は急に気が抜けて、へなへなとその場に座り込んだ。
日向・・・わけわかんねえやつ・・・・。
結局なんだ?俺は勝手に振り回されてただけなのか?
しかし、日向は俺がそんなになってたことには気がついていないようで。座り込んだ俺にあわせるように、日向も土下座するようにしゃがむと俺の目をじっとみつめた。
どうでもいいけど、人通りがないとはいえ、ここは公衆の面前なんですけど?
「俺・・・直子にもよくいわれんだけど・・・言葉うまく伝えられなくて・・・。でも一緒に住んでくれるよな?」
最近よく俺の前で見せている日向のこどもみたいな目。大型犬が飼い主をみるとき見たいな目。真剣で澄んでいる。
俺は大きなため息をついた。
「・・・やだっていったらどーすんだ」
「え?・・・嫌なのか?・・・ど、どうするかな・・・」
本当に困ったように日向がおろおろする。フィールド上では猛虎なんて呼ばれて、普段でも寡黙な男前で通ってる男の正体はコレなんだ。
もう、堪えられなくて俺は大声で笑い出した。
ああ、日向。やっぱりお前の方が凄いや。俺も同じくらいお前のこと好きだけど、たぶん負ける、一生負ける。でも負けてばっかりいるのは悔しいから―――。
「昨日さ、サボテン咲いたんだよ。おまえにも見せたかったんだけどさ」
「・・・まじかよ。なんで言ってくれなかったんだよ」
「絶対来るとおもったんだもんよ。なのに来ねえし」
「そ、そっか・・・やっぱ行けば良かったな・・・」
「え?くるつもりだったんか?」
「ああ、だけど周りにみんないたしよ・・・」
「なーんだ・・・」
「あ〜でもサボテン!!!年に一度しか咲かねえんだよな・・・」
「いいじゃん。来年は一緒に見ようぜ?」
「・・・松山、じゃあ・・・」
日向が抱きついてきた。
あまりの勢いに道路に押し倒された。
俺は笑った。日向も笑った。
日向の肩のむこうに、真っ青な、雲一つない青空。ずっとずっとこのままでいたいと思った。
おわり