ほんとは余裕なんて全くなかった。
正直途中からは恐くて、ただひたすら日向に縋り付いていた気がする。自分のカラダがあんなふうに乱れるなんて、全然知らなかった。そりゃあ当然だけど。俺が抱かれるなんて、考えたこともなかったんだから。
求められるままに再び体を重ねてしまったのは、しかも自分から誘うようにしたのは、もう一度、今度はちゃんと自分自信の思いを確認してみたかったというのがあった―――。
キスされて頭の中が痺れるのは。
指で舌で嬲られて、息ができないほど翻弄されるのは。
そして男として、こんなことをされているのに嫌悪感がひとつも湧いてこないのは。
だけど日向の腕の中で俺の意識は千々に乱れていく。日向の強い腕、優しいキス。
俺からも日向に施す。奴の窪んだ鎖骨や割れた腹筋にくちづけを。そうすると、日向が感じて小さく呻く声。
耳もとで甘く響く「松山」という俺を呼ぶ声に、カラダは震えた。
だんだんと自分が自分でなくなるみたいで、「ひゅうが」と呟くと日向が力強く抱き締めてくる。そうされ度、なぜだか胸の奥が痛くなった。
会う時間は限られる。
お互いそんなに暇ではない。
その限られた時間を全て俺に注ぎ込むかのように、日向は俺と過ごすことを選択したようだったが相変わらず、勝手に俺のウチまでくることはしなかった。
そのかわりに「近くまできている」と初めて日向を迎えにいった、あの公園のベンチから俺に連絡が入るのだ。
それは俺がウチにいるときもあったし、出先のときもあったし。
しかし日向をそこにずっと待たせておくわけにもいかねえから、俺はすぐに迎えにいくしかなかった。
全く俺がどうにも手がはなせない予定が入っていたらどうするつもりなんだろう。コイツはずーっと待ってるつもりなんだろうか。恐くて敢て確認はできなかったが。
決して「会いたい」とかそういった連絡はなくて。電話と言えば「近くまできている」だ。大体日向は言葉が少ない。というか学習機能がねえな。前は「呼べ」「呼べ」だし。
次第に俺と日向が共に会える日程って言うのがなんとなくわかってくる。俺もなんとなく、そういう日は予定をいれなくなったりして。
そうして日向からの電話を待ち、公園に迎えに行く。
「近くまできたから電話した」
「うちくるか」
「ああ」
こんなバカみたいな台詞を毎度毎度くり返す。つくづく俺も学習機能がねえってことだな。
数回目の時、さすがに俺も毎回こんなんはどうなんだと思って、日向にいった。
「俺がおまえんち行く」
「ダメだ」
「なんでだよ。いいじゃねえか」
「・・・・実家だから」
「いいじゃん、日向んち呼べよ、俺も」
「―――ダメだ。悪い」
それが本当に申し訳無さそうに言うので、それっきり俺も引き下がった。
別に日向の家にいってみたかったわけじゃなかったし。確かに家族のいるところに、俺がふらっと行ったって驚かれるだけだもんな。
そして二人でウチへ向かう途中のコンビニでアルコールを買い、部屋で他愛のない会話を紡ぎながらそれを空け終わる頃、お互いの目が合うとどちらからともなく肌を探り、そして抱き合った。
一日中を獣のようにそうやって過ごすのだ。
何度となく抱かれるうちに、体は日向に慣れてくる。
普段寡黙な日向が、俺への愛を飽きることなく囁く。そんな言葉はもういらねえのに。
よけいに俺の気持ちは定まらない。俺が日向に「すき」といったのは、はじめて抱かれた時だけだった。
「松山、彼女できた?」
「なんでだよ」
久しぶりに顔をあわせた反町に、何はともかくと言った感じでたずねられた。
「最近、全然誘ってもでてこないしさ。松山からも連絡してこなくなった」
「そうだっけ?」
言われてみれば、俺から連絡ってとってないかも知れない。
というのも休みの日は大抵、日向といるからだ。ヤツといない日でも、前のように誰かと出かけたりとかする気がなくなっていた。
そんな日は俺って何してるんだっけ?思い出せない。
日向と過ごす時間が増えるにつれて、いつのまにか時間の回り方が変わってきているのか。
反町の言葉は問いつめているようではなかったけれど、とりあえず俺はゴメン、と呟いた。
「今度あわせてよね」
「彼女じゃねえよ」
「またまた〜。だって松山、なんか満たされてるって顔してるよ。気付いてないでしょ」
思わずはっとして、頬を触ってしまう。俺が満たされてる?やめてくれよ。
「まさか。冗談よせよ」
「あはは〜〜〜。でもホント、前とはなんか違うよ。それは事実」
「そう・・・か?」
「うん。あとそういえばね、日向さんもそう」
「日向?」
「そう。この前久しぶりに会ったんだけどさ。すっごい今調子いいみたい。ほら、あの暴露記事以来心配だったんだけどさ、ようやく例の思い人とうまくいったらしいよ。よかったよね」
まさか、それは俺です、なんて言えない。
反町がべらべらと喋る口元を、ぼんやり見てしまう。
「どんな彼女なんだろうね?相変わらずそういうの教えてくれないからさ〜」
「そうなんだ」
「松山も今度日向さんに会ったら、わかると思うよ。随分印象違うから。うーん、満たされてるっていうのは日向さんにこそ似合う感じかな〜」
「・・・・ふーん」
「あ、今度引っ越すらしいよ。内緒だけどね」
「引っ越し?」
そんな話、全然聞いてない。なんで反町は知ってて俺には黙ってるんだ?
しかもなんで内緒とか言うんだよ。誰に内緒なんだよ。
その後、反町は違う話をしていたけれど、もう、なにも頭には入ってこなかった。
「近くまで来てるんだが」
いつものように日向から電話がかかってきた。
ちょうど反町に会った次の日のことだった。
「おい、お前、俺になにか隠し事してねえ?」
「なんだよ急に」
「してんだろ?」
「どうした松山?」
「今日は日向んち行く」
「だからウチは―――」
「なんでダメなんだよ。どうしてだよ。俺はいっちゃいけないのかよ」
「松山?」
「・・・悪い、今日はダメだ」
「わかった。また電話する」
体を重ねるようになってからの日向の訪問を初めて断った。
どうしてだかわからない。別に日向が引っ越すくらい、俺に黙ってることぐらい関係ないことじゃねえか。
俺と日向のオフが重なるその日の朝、数カ月間のうちに大きくなっていたサボテンの蕾が、ようやく花を咲かせる姿に変化しているのに気がついた。
屹立していた緑色の棒状の先端から、いまはまだ巻かれたままの白い花びらを覗かせていた。
日向がウチにくる頃には、咲いてるかも知れないなと思いながら、すこし浮き浮きとした気分で部屋の片付けをしている自分がいた。
夕方になって、やはりサボテンはその蕾を開きはじめた。
蕾とわかってから、人づてに聞いたところ、どうやら夜咲くということ、その晩だけしかもたないということがわかった。だからこそ、一人ではなくて、日向と一緒にそれを見られるのが楽しみでもあったのだ。
暗くなって、本格的に開花しはじめる。
グロテスクな状態だった以前からは想像もつかないきれいな白い花だった。
拳程も大きな花。
思わず俺は感嘆の声をあげた。すごい!すごいぞサボテン!!
早く日向にも見せたい。
しかし、時計はもうすぐ11時を指そうとしているのに、いつもならとっくにあるはずの日向からの「近くに〜」コールがまだない。
なんだよ。どうしたんだよ。まさかこの前俺が断ったから来ねえとかいうんじゃねえだろうな。今日来なくてどうするんだよ。
今咲いてる花がもう数時間で萎んでしまうとは、俄に信じがたいほど、とても綺麗に咲いているけど。
俺は我慢できなくなって、日向の携帯の番号を押した。
数回呼び出し音がなって日向のもしもしという声が聞こえた。
「おい、日向?」
「ああ―――」
「今日はこねえのかよ。早く来い、早く!!」
「・・・・もう、松山んちにはいかねえ」
「え?」
「松山のところに俺がいく必要はなくなったんだ」
「何・・・だよ?」
必要がなくなったってどういうことだよ?すっかりわけがわからず混乱している俺に追い討ちをかけるかのように、日向の背後でしている声が電話口から漏れ聞こえてくる。
『ちょっと〜、まだちゃんと言ってなかったの?だめじゃん』
女の子の声だ。わりと若い感じの―――。
それ以外にもざわざとした声が聞こえる。どうやら数人が日向の周りにいるらしい。
『早く荷物あけないと〜』
別の人の声だ。男の声。
荷物・・・もしかして、例の引っ越し先なのか?
ショックを受けながらも、今俺に言えるのは。
「日向、とにかく早く、今じゃねえとダメなんだ、早く来いよ!!」
「ホントに、今いけねえんだ―――実は」
「うるさい!!早くきやがれ!!!」
なにかをいいかけた日向の言葉を遮るように怒鳴り付けると、電話を切った。
肩が震える。
早く来い、日向。花がしぼんじまうだろ!
こんなのめったに見れねえんだから。ウチにきてみるだけでいいんだから。早く来い早く。
・・・頼むから、日向、早く来てくれ。
次第に懇願するように俺はサボテンの花の前に座り込んだ。
あれだけ俺のことを好きだと熱く語る日向だ。俺の誘いは絶対に断れないはずだ、きっと今慌ててこっちに向ってるに違いないと思いながらも、片方では日向の「必要無い」という言葉が俺を暗闇の淵へと後押ししていく。
必要無いって―――。もう俺がいらないってことなのか?
俺は単なる日向の欲望処理だけの為の存在だったのか?
さっきの、電話のむこうにいた女の子と暮らすのか?
どんどん生まれてくる問いに耐えきれず、ベランダに出て通りを見下ろす。今までだって日向が直接うちのマンションにきたことがないのがわかってるのに、もしかしたら此処に向ってきているんじゃないかと、日向の姿を探してしまう。
走ってきた人影に、思わず身を乗り出して「日向!」と叫ぶとそれは、近くの住人だったようだ。
声のしたのが上からだとは気付かなかったらしく、怪訝そうな顔でまわりをきょろきょろすると、そのジャージ姿の人は走り抜けていった。
日向じゃなかった―――。
もしかしたら、電話がきているかも。今度は携帯の液晶を確認するも、電話のあった形跡はなく。
今まで、こちらから電話なんてしたこともほとんどないし、日向がメールとかくれていたわけでもない。それでよかった。日向の心は、体は、俺に向いているって確信してたから俺は何も気にしたことはなかったんだ。
だけど今まで平気だったことが、平気じゃなくなる。
体を重ねていたことで、会えない時間が多くても、今までどおりでも、お互いの距離は近くなっていると言うのを感じていたのに。
日向がこないことがこんなにも悲しい。つらい。一緒にいる時が幸せだったのに。抱かれてそれを感じていたのに。それがなんで、突然、必要無くなっただなんて。
「・・・・・」
そこまで思いを巡らせて、俺はふいち立ち止まる。
え?幸せだった?抱かれて?
急に、バラバラだったいろんな思いが組み合わさっていく。おさまるべきところにいろんな断片が収納されていく。
「俺、ほんとに日向が好きなんだ―――」
口に出してみれば、よけいに胸の痛みがます。
今まで好きと認めることに逃げてはいなかったか。認めることが、なんだか日向に負けるような気がして、日向と対等でなくなる気がして。
でも好きだから、日向が好きだから今こんなにも辛いんだ。悲しくて、悔しくて。
今さら遅い。ちゃんと日向に伝えればよかった。
一度だけ口にした「好き」はまだ同情まじりの好きだったから、それを俺自身もわかっていて。
お願い、日向、いま来てくれたらちゃんと言う。このサボテンの花に誓ってちゃんと言うから、頼むから今来てくれよ。
じわじわと涙が浮かぶ。
次第にそれはぶわっと溢れて、おれはしゃくりあげた。こんなに泣くなんて久しぶりだ。
サボテンの花に涙が落ちる。
電話を片手に持ったまま、日向を待っていた。
目はサボテンの花に注いだまま。
だんだんと萎れていく白い花。
気持ちもどんどん冷めてくる。もう、日向は来ないんだ―――。
気がつけば、朝日が部屋に差し込んできた。
花はもうしおれて、元気だった緑色の棒状の部分の付け根からだらりと垂れた。
「・・・コイツも萎えたか・・・」
俺の日向への思いは、サボテンの蕾と同時に大きくなって、花咲いた時にはもう遅く、誰にも気付かれることなく、俺の中だけでサボテンの花と同じように・・・・。
つづく