上海物語(仮)あらすじ 1

 
 


 昭和初期。
 上海の共同租界で貿易商を営む松山家。
 両親と姉は上海に住んでいたが、息子の光は北海道の学校で学んでいた。
 しかし、家業を継ぐため商売の勉強をはじめるために上海へ渡る事になる。
 15才の春のことだった。
 長崎から定期行路の船に乗り込み、家族の待つ上海へ胸を踊らす光。
 上海には幼い頃に行ったきり、あまり覚えていなかった。
 しかし、後少しで着くというときに、突然の嵐に巻き込まれ、荒海に投げ出されてしまう。
 近海での難破だったという事もあり、多くの乗客は助けられるが、やはり多数の行方不明者をだす大惨事となってしまったのだった。
 松山家でも光が乗っていた船だということで騒然となる。
 両親、姉が港へ駆け付ける。
 ごったがえす波止場。
 助け出された人や、引き上げられた死亡者の中にも光の姿はない。
 途方に暮れる松山家を更に悲劇が襲う。
 以前から、上海における商取引の覇権を狙い、その財力に目をつけ更に親中国の態度に反感をもっていた商社と政治組織(中国侵略を推進する)の謀略により、失意の中帰宅途中の一家は車の事故にみせかけて殺害されてしまう。
 残された松山家の財産や商業基盤は、管理とこれまでの日本と上海の円滑な貿易取引の維持(多くの取引先に信用と信頼があった)の名のもとに乗っ取られる事になる。
 このとき正当な後継者は光しかいなかったのだ。
 ほとんどの従業員は日本へ帰国したり、満州へと離散。残っている事は、これまでの松山家のやり方と正反対の仕事の進め方についていけなかったということもあるが、当主の人柄を慕っていたものが多かったために辛いということのほうが大きかった。
 当主一家に近いところで奉仕していたものの中には、光を探そうとする者もいたが、既に死んだものと諦められていった。




 光は、上海とは離れた海岸べりに打ち上げられたところを地元の中国人に助け出される。
 定期船の難破の話は、沿岸の漁村等にも伝わっており、日本人を助けると共同租界の日本領事館において謝礼金がもらえる事になっていたためである。
 目覚めた光は海に投げ出された時に頭を強く打ってしまったためか、おおまかな記憶がとんでしまっていた。
 おぼろげに自分の名前「光」は覚えていた。
 さっそく、「光」という名の日本人を保護しているという報をもって、傷の癒えない光をおいたまま上海へ向かう中国人の男。
 組織では、光の行方がやはり気にかかっており、あらゆるところにスパイを忍ばせていたところだった。
 領事館において、「光」という日本人は、「松山光」であるということが乗客名簿により判明する。
 この一件についての担当者は、直接組織とは関係のないものであったが、手先にその情報を漏らしてしまう。
 ようやく乗っ取りに成功した今、後継者である光に戻ってこられては困る組織より、すぐに光を消せという指令がだされる。
 光を保護した男は、何も知らず、謝礼金の一部を受け取り、帰宅途中で殺される。
 光がかくまわれている漁村の男の家へは刺客が差し向けられた。
 その頃、光は何かに引き寄せられるように、病床からふらふらと立ち上がり、家をでて外をさまよう。
 刺客とはすれ違いになり間一髪で助かった。
 しかし、体はまだよわったままであり、途中で倒れてしまう。




 松山家乗っ取りの陰謀に気付き、当主の殺害後いちはやく、もてるだけの松山家の財産を保護し、光を探し上海郊外に潜んでいた松山家の使用人頭であった中国人夫婦が光を助け出す。
 倒れていたのが中国人居住区の路地であったため、日本人の組織である刺客より先にみつけることができたのだった。
 光の記憶がないことに驚愕するが、それを利用し、自分達の子として育てる事にする。
 生前の松山の両親に世話になった彼等は、なんとしても光を成人させたかった。
 中国語を教えたり、教育を施していった。
 光も、どんどんそれらを吸収し、明るく育っていった。
 2年がたったころ、既に光のことなど忘れていたと思われた組織に、彼等の居所がみつかってしまう。
 組織は、育て親に光を引き渡すように要請する。決して殺しはしないからと。
 しかし、組織に引き渡せば光の身は危ないと信ずる育て親は、はじめて光に、松山家のことなどを告白し、すぐにどこかへ逃げるようにすすめる。
 光自身はその告白をうけても、おぼろげな記憶の中に、その断片すら思い出せない。
 この二年間が全てになっていたからだ。
 自分さえ、その組織とやらへいけば、育て親も今後の生活の保証がされると、彼等と組織の間で交わされた会話を耳にし、自ら家をでることを告げる。
「今まで育ててくれてありがとう。父さん、母さん」と明るく出ていく光。




 上海へ着いた光は、組織の経営する秘密クラブに連れていかれる。
 日本人だけでなく租界を牛耳る各国のトップなど選ばれた客のみに入る事を許された、いわば高級娼館。その実は日本軍の諜報組織でもあった。
 ここの主人はかつて松山家とも交流のあったものだった。
 組織が光を探し出したと聞いた時に、自分のところで受け入れ、ある意味守るつもりで引き取る事を決めた。
 娼館は娼館。生かしてやるとは言え、解放などしてはこの地での己の身が危ない。
 二年の間に組織内での松山光に対する処遇についての対応は、即殺害でなくなっているとはいえ、実態がなくなっているにせよ、一時は上海有数の商人であった松山の一人息子である。
 その点は割きり、ここでの仕事を光に申し付ける。
 波瀾に満ちた自分のこれまでについて、漠然と立場を理解しはじめていた光。
 育ての親の望みは、何がなんでも自分が生きる事。ならば、どんなことであれ受け入れなければならない。いきていくためならば。
 ”松山の息子”がこの組織の中で働かされているという事を、内部、外部ともに明らかにすることで、組織からの追及と、未だ松山家再興を願う者達とそれを利用しようとする抗日の反勢力に対しての切り札にするための主人の思惑を光は受け入れた。