かつて上海の日本租界のみならず、外国人にも名を知られた「松山」の息子が今やその身を男娼にやつしているという噂は、租界の中でピラミッドの頂点部分に属する人々に広まっていった。
すぐに体を売る事はさせず、来客への給仕やおつかいなどに使われる松山。
当初の彼はカンフースーツに身を包み、いかにも少年然としていた。
割と自由に外出もできる松山だったが、万が一の脱走、反勢力による拉致などを考慮し、ボディーガードとして日向小次郎が任じられた。
日向小次郎。
長めの前髪をなびかせ、支那服の長衣を纏った大柄の青年。
その名のとおりれっきとした日本人である。
裏世界で、その腕っぷしを生かした用心棒的な仕事をしてきていた。
彼とて好き好んでこの世界にはいった訳では無く、やむにやまれぬ事情でこの世界に身を置いている。
幼い頃に父親をなくし、母と弟妹の生活を助けるため、多少の汚いことには手を染めることを厭わない。
命ぜられたまま、松山の目付けをすることになり、最初に思ったのは、松山を甘やかし過ぎているのではないかということ。
もともと金持ちの息子だかなんだかだったらしいが、今は単なる娼館の住人に過ぎないのである。
組織がなぜこんな風に松山を自由にしている(ようにみえる)理由もわからなかった。
今まで日向のみてきた売られてきた者たち(松山も売られてきたと思っている)は、例外なく、すぐに仕込まれて使い捨てられてきたのだから。
あいも変わらずメッセンジャーボーイのような仕事をさせられている松山と、それを影から見守る日向。
ある時、よっぱらい連中に町中で絡まれる松山。
「用があるなら店に来い!!」という松山は、男達をこてんぱんにのしてしまう。
まさか、喧嘩が強いとは思っていなかった日向は驚く。
勿論そのあと、日向は男達が「店にもこられないよう」後始末をした。
単なるお守りではないらしいことに気付き、少しづつ松山を見る目がかわっていく。
ある日、松山のそばに(数メートル離れて)常にいる日向のもとへ、松山が寄ってくる。
「俺、逃げたりしねーから、ついてくんなよ!!」
「・・・・・・・・」
「・・・上からの命令か?とにかくうざいんだよ」
「お前にそれを決める権利はねえ」
「・・・そうだけどさ・・・」
「俺がいると思うな。何もないと思っていればいい」
その会話を機に、次第に話し掛けてくるようになる松山。
ぶっきらぼうながらも、ちゃんと返事をしてくれるのは日向がはじめてだったのだ。ここにきてからは。
お使い先でもらった菓子などを日向に渡したりもするようになる。
日向に弟妹がいることを店できいたらしい。
お互いにぽつりぽつりと自分のことを話したりするようになる二人。
店での松山は、ほとんど表情をかえずにいた。
きらびやかな錦糸、銀糸で織られた派手なチャイナ服も、当初は抵抗があったものの、これが自分のいきていくためなのだと納得するしか無かった。
日中、外出時のカンフースーツの彼とは別人のように、少年の色気をかもし出す松山。
他の者のように媚びたりしない、一風変わった態度に客の注目が集まるようになっていく。
日向はそんな松山を眺めながら、自分の前では明るい笑顔で話すギャップに戸惑いながらも愛しいもの、守りたい、という思いが満ちていきはじめるのを感じていた。
次第に店では人気ナンバーワンの扱いになる松山。
主人の方針か、まだ、誰にも売られていない高嶺の花というのが、遊び慣れた客達の興味をひくものであったらしい。
そんな松山を仕事とはいえ、そばで見守る日向。仕事以上の感情に既に捕われていた。
一種の優越感にひたりつつも、いつかは不特定多数の男に弄ばれる対象なんだという現実を前にし、苦悩するようになる。
秘密クラブの客は、店が選んだ上客ばかり。
金をもっているものでも、店が許可しなければ絶対に受け入れない。
三杉淳は、まだ若かったが常連客の一人であった。
娼館のようなものだったが、それはあくまでも形態のひとつにすぎず、当時の上海を動かす人間の集うサロンというのが本来の顔であったので。
ここの従業員は口が固く、密談をするにはもってこいだった。
久しぶりに三杉が店を訪れたのは、暫く日本にいたからだった。
最新の上海事情を仕入れるためには、ココが一番。政治経済から下世話なことまで・・・・・・・ということで、一人主人の部屋へと招き入れられた。
実は三杉こそ、松山家なき後、この上海で商取引を独占することになった商社の若き総帥であった。
しかし、二年前の事件については直接関与しておらず、上海も一つの取引先にすぎない彼は松山家に対して何の想いももっていなかった。
「久しぶりだね。あまりここも変わらないみたいだが・・・。何か評判のことはあるかい?」
「三杉様に是非、お目にかけたい者がおります」
主人の部屋の壁に掛かったカーテンを開けると、吹き抜けになったホールの様子が見おろせる。
「最近はいったものですが・・・」
「ああ、なんか聞いたよ。皆、無中になっているそうじゃないか。でも僕は少年はねえ・・・」
そういいながら、三杉は主人の指差す方を見る。
ホールの中央で、他の少年に混じりながら松山が舞っていた。
「・・・ふうん。彼が・・・」
その言葉に好奇心をすぐに嗅ぎとった主人は、何もいわずに机上の呼び鈴を鳴らし、松山を連れてくるように命令した。
壁で区切られた個室に松山が酒を載せた盆をもっていくと、若い男がくつろいでいた。
あまり若い客を見た事が無かった松山は吃驚しつつも、表情にはださず盃に酒を注いだ。
その若い男、三杉はにっこりと笑うとその手をとり、宣言するようにこういった。
「上海が楽しくなりそうだ」
言葉通り、三杉は頻繁に訪れ、松山の接待を指名した。
自分に好意を抱く三杉は、松山にとっては単なる自分を指名する客の一人に過ぎず三杉の思いをよそに、態度が変わる事はなかった。
ただ、彼の話してくれる、上海の情勢や世界のことは、松山の知的好奇心を大きく満たすものであり、その点では三杉の席に呼ばれるのは楽しみでもあったけれど。
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