「アイス食いてえ!ちょっとコンビニいってくる」
そんなふうに松山が部屋を出てから既に30分。
コンビニまでは歩いて5分の距離だ。雑誌の立ち読みでもしているのだろうか。
一人でていったことについては、いつものことだと何にも思わなかったが、少し時間が遅すぎはしないかと日向は心配になってきていた。
すぐに戻るかと思ったのによ・・・。
なんせ、さっきから付けっぱなしのテレビでは『今だから話せる衝撃のニュース』とかいう特番で、タレントが帰り道に暗がりに引き込まれて暴行されそうになったとか、そういう話と再現映像がひっきりなしに流れているのだ。
松山がそういう事件に巻き込まれることはありえない、と頭の中ではわかっているものの、ほんの数十分前まで隣にいた松山を姿が映像の中の女性に重ねてしまい―――。
ぷるるるるるる ぷるるるるるる ぷるるるるるる
携帯電話の音に、現実に引き戻された日向は通話ボタンを押した。
「あ、俺。寒〜〜〜、ちょっと俺の服もってきてくんねえ?」
松山だった。思わず何があったのかと、聞き返す声が上ずる。服持ってきてくれってどういうことだ・・・?
「な・・・、服ってお前・・・、今、どこにいんだよ!!松山、なにされたんだっ!!」
「へ?なにって・・・」
「おい、大丈夫なのか?服破られたのか?」
「・・・日向。悪ぃ、なにいってんのかわかんねえ・・・」
「だから松山、襲われて・・・ぼ・・・暴行されて服が・・・」
「あのなぁー、第一そんなんされるわけねえだろうがっ。それにおめーくらいしかやらねえよそんな事!男襲うなんて。とにかくなぁ、俺の上着なんか持ってきてくれって。長袖の・・・あ、黒いウィンドブレーカーでいいや。早く来いよ、土手の階段登って降りたとこにいっからよ」
「おい!!!」
日向の返事を待たずに、松山からの通話は切られてしまった。
とりあえず、松山が無事だったことにほっとする。と同時に我ながら短絡的に松山が何かされたんじゃないかと思い込んでしまったことに、今さらながら照れてしまう。
どうにもこうにも、松山のことになると冷静に考えられなくなるのだ。
しかし土手ってなんでまたそんなところに、松山はいるっていうんだろう?これまたシチュエーションが事件おきそうな場所ににぴったりじゃねえかよ、やっぱりなんか起きてからじゃ―――くそっ!
慌てて松山のいっていた服を掴むと乱暴にマンションのドアを締め、走りだした。
松山がいると言う土手とは、荒川のスーパー堤防のことだ。二人の住むマンションのベランダからも見える場所で、歩いても五分もかからないところにある。
河原が緑地帯になっていて、土手の上は散歩もできる歩道になっており、傾斜の部分は芝生だ。
すぐ先にある大きな橋で行われる年に一度の夏の花火大会の折には、この土手も夜に関わらず近隣、遠方からみにくる人々が鈴生りになるものの、夏も終わったこの時期、しかも10時を回った時間だ。人は誰もいないに違いない。電灯がついているわけでもないのだから。
9月も20日を過ぎて随分涼しくなった。
日向の体を吹き抜けていく風も一ヶ月前の生温さは既になく、冷んやりとしたものが混じっている。
アイスを買いにいった松山は、部屋着のTシャツ一枚だった。もしも先程から外にいるのであれば、随分と体は冷えてしまっているだろう。たとえ北海道出身で寒さに強いとはいえ、プロのサッカー選手として働いている以上無茶なことはしないでほしい。
だから自分に上着を持ってこさせるのかもしれないが。っていうより、なんで俺がパシリさせられてんだよ、ちくしょう!!
暗い夜空に延びるような土手をあがる階段を一気にかけ登ると、きょろきょろと周りを見回し松山の姿を探す。
すこし斜面を降りた所に、寝転んでいる白いTシャツが浮かんで見えた。
「松山!」
「おー、ここ、ここ」
日向の呼び声に、ゆっくり上半身を起こし振り向いた松山が片手をあげた。
しゃくしゃくと芝を踏み締めて日向は松山の側へ降りていった。
「ありがとよ」
差し出されたウィンドブレーカーを早速着込んだ。松山がまだこの場所を離れる気がないらしいと理解した日向は、松山の傍らに腰をかけた。
松山は側に置いてあったコンビニのビニール袋からごそごそと何かをとりだし、日向の前に突き出した。
「はい、お駄賃」
「・・・なんだよコレ」
「みてのとーりだってば」
わけもわからず、受け取ったそれは、一本のみたらし団子だった。
「ちょーどコンビニ出たら、雲が晴れてきてさ。思わず団子買っちまって。そーいやここってススキ生えてたなぁって。ほら今日って十五夜じゃん。みながらアイス食ってたら寒くなっちまってよ」
「・・・ああ」
「また隠れちまったら帰ろうと思ったんだけどさ、ずーっと出てるし。やっぱ日向にもみせようかなって電話した」
もぐもぐと自分もその団子を食べながら、松山が笑った。
そういや昨日の天気予報で、21日は中秋の名月十五夜の晩だとか言っていたっけなぁと日向は思いだした。あまり興味がなかったのですっかり聞き流してしまっていたが。
言われて上空に目をやると、うすぼんやりとした満月があたりを静かに照らしていた。
川面に近いところにススキが一面に群生し、そよそよと秋風にその穂を揺らしている。
「月見っていったら団子だろ?あと、コレ♪」
松山は嬉しそうにカップ瓶に入った日本酒をとりだし、ふたを開けると口に運んだ。
夜風に乗ってアルコールの香りがあたりに漂う。
「俺、そっちのほうがいいな」
「えー、とりあえず団子食えよ。お前の分もあるからさ」
ふたり並んで、月を見上げる。秋の虫の声がBGMだ。
あまり天気がいいとは言えない今晩だけれど、薄い雲の紗に彩られた満月は美しかった。
最近は忙しくて、こんなふうに夜空を見上げるのはひさしぶりのような気がする日向は、松山の突発的な誘いに感謝した。
今日のこの月が毎月やってくる満月となにが違うというわけではないけれど。
「まー、満月だけだったら、別のときでも綺麗なんだけどさ」
どうやら松山も日向と同じことを思っていたらしい。
なんとなく、お互い黙ったまま酒を飲みながら、そうやって月を暫く眺めていた。
肌寒かった体も、アルコールのせいかあったまってきていて、冷たい風も心地よい。
「俺、実は月からきたって知ってた?」
松山がいたずらっぽい目でニヤリと日向を覗き込む。
どうやら、少し酔っているらしい。本来酒には強い松山だが、日本酒は飲むと酔いが早いらしいことが最近わかった。普段はビールや他の酒をさんざん飲んだ後で日本酒を飲むため、宴席等で一緒になった他の人間は知らないに違いない。
松山本人もそれが分かっているので、最初から日本酒を飲むことはほとんどないが、今は日向がいる気安さもあってたぶん飲んでいるのだろう。
夜目にも少し、目もとや頬が赤くなっている。
「俺、ほんとは月のうさぎなんだ」
「ほー、なんで地球にきてんだよ」
「ふふん、知りたい?」
酔った松山の言動は怪しくなる。どういうつもりで言っているのか毎回わからないが、本人も内容を覚えていないらしい。最初は戸惑ったものの、適当に返事をしていればいいということがわかって、日向は松山に合わせるようにふってやる。
たぶん月をみていて、月にはウサギが住んでいるとか、そういったキーワードで無意識に口にしているだけなのだ。しかしウサギねえ・・・。気付かれないように日向は笑った。
「世界が平和になるよーに、見守りにきてんだぜ。すごいだろー」
「すげえな。世界平和かよ。そんなうさぎさんが俺と一緒に住んでサッカーしてて大丈夫なのか?」
「だから、お前ラッキーなんだ。感謝しな?」
「まあ、確かにラッキーだけどよ」
「ん?」
同居に至るまでの日向の苦労はなかなかのものだった。
今でも隣に松山が当たり前のようにいることに、驚きを感じることもある。
笑い顔のまま、自分を覗き込んでいる松山の顔をみて、ふいに愛おしさが増す。わがままで、バカ正直で、一直線で、お人好しで、めっぽう男っぽいんだけど、やっぱり自分にとっては可愛い松山。
「じゃあ、おまえが秘密教えてくれから、俺も教えてやる」
「なになに?」
「俺はな、満月みると・・・」
日向は松山の両肩に手を置くと、その体をゆっくりと草の斜面に押し倒し不思議そうに見上げる瞳を覗き込む。
そして、よく言い聞かせるように続きを言う。
「狼男になるんだ」
「え?」
「大人しく頂かれなさい、うさぎさん」
ちゅっと軽く唇を重ねる。言われた意味を反芻しているのか、松山はぼうっとしたままだ。
俺はうさぎだけれど、日向はなんだって?満月だと変身するのか?だってかわってないじゃん。
日向は何回かの軽い口付けの後、松山の歯列を割って舌を差し入れた。熱い松山の舌を絡めとると、角度をかえながら口腔内を蹂躙する。
無意識に松山もそれに応えるように、自分の舌を日向のそれに絡める。擦れあう粘膜から生まれる甘い疼きは体に走っていく。
「んっ・・・・・うん・・・・・ん」
互いの呼吸さえも飲み込むようなディープキスになる。
唇が離れると覗く松山の赤い舌が、意図はしていないだろうが、まるでもっととねだるようでいやらしい。日向は飽きることなく松山の唇を貪った。
「はぁ・・・・んっ・・・、うんっ・・・・・」
つい、松山の戯言につき合って自分も狼男になぞらえてみた。
キスだけで終わらせるつもりだったが、松山の口から漏れる互いの飲み込みきれない唾液の混じった水音と掠れた声に、日向の欲望はとめられなくなっていた。
首元までしっかり上げられていた松山のウィンドブレーカーのファスナーを下ろし、前をひらいてTシャツの襟元からすんなりと伸びた首筋に唇を這わす。
顎の舌から喉仏にそって嘗められると、松山の顎がびくんっと仰け反る。
「・・・ぅあっ・・・やっ」
ここにきて、ようやく松山も日向のいう意味と、自分の置かれた状況がわかってきたらしい。
首筋に丹念に唇を這わせながら、手の方はTシャツをたくしあげ更にその下の肌に触れてきた日向の手を掴んで制止しようとする。
「日向っ!」
「・・・なに?」
「ちょ・・・、ここ外だっ」
「だから?」
「誰かに見られたらっ。やめろって」
日向は一旦手の動きを止めたものの、松山の上からはどく気配はない。
松山は、日向の胸を押してどかせようとするが、日向の体はびくともしない。
「大丈夫、こんな夜遅く河原にくる阿呆はいねえから」
「いるじゃん、ここに。俺達そうだろ?」
「んー、そういわれりゃそうだけどよ。でも来ねえって」
「いやダメだって―――。月もみてるし」
「・・・・・」
納得したのか自分の上から離れた日向の体に、松山はほうっと息を吐いて安心した。
日向の施す激しいキスと、甘い愛撫に流されそうになってしまった体は火照っているが、なにもなかったように体を起こした。
日向は行為を止められて少し怒っているのか、黙ったままだ。
ったくこれくらいで拗ねるなよな〜。だいたいこんなオープンなところでやろうとする方が悪いんだ。別に満月じゃなくったってコイツ年中狼男じゃねえかよ。
松山は立ち上がると、座ったままの日向の腕をとる。
「もう、帰ろうぜ」
「・・・・・」
相変わらず日向は黙ったままだが、手を握ってやると力強く握り返してきた。
しょうがねえなぁと松山は苦笑した。
まあ、確かにこの時間にこんな河原を歩いている人間は滅多にいないだろう。そんな思いもあって普段は気恥ずかしくてできないが二人して手を繋いで歩きはじめた。
なんとなく繋いだ手が暖かく、その小さな行為がしみじみと幸せを感じさせる。
「日向、もうちょっと歩いていこうぜ」
「そうだな。せっかくだしな」
ようやく日向も返事をした。
月は随分高くなって、ちょうど頭の真上あたりで光っている。
りーんりーんりーん。鈴虫の声。