「おい」
「・・・なにぃ?」
けだるい疲れの中。夢うつつの松山が回らぬ舌で答える。
「日向さんはすぐ戻るのか?」
「あ〜、今日中は無理かもって・・・」
若島津が日向を気にするのは、松山に気を使っているからでは全然ない。
松山を傷つけることなど別になんとも思っていない若島津が、傷つけたく無いと思っているのは日向の方である。
自分と松山のしていることに対しては、少しも罪悪感など感じたことなどなかったが、日向の邪魔をするつもりは毛頭無かったし、むしろ日向には幸せになって欲しいとさえ思っている。
松山にいわせると、日向のこと好きなんじゃねエの?などと勘ぐられるのだが、あんな一本気な日向がこんな小悪魔に惑わされているのかと思うと、ついつい心配になってしまう。
事実自分を含めたセックスフレンドが何人もいることを、日向に告げたのは松山自身なのだ。なんでわざわざそんなことを教える必要があったんだと問うと、松山はいけしゃあしゃあといった。
『一番大事な人に隠し事しちゃいけないだろ』
喉の奥でクックッと面白そうに笑って、若島津の首にぶら下がりながら。
松山が万事のその調子だったから、自分が気を使わざるを得ない。
しかし日向もよりによって、何もこんなタチの悪い奴にほれなくてもよさそうなものだがと不憫に思われる。
『日向がさぁ、せめて自分にはわからようにしてくれってさ』
猫みたいにくるくるよく変わる目で、そんなことを嬉々としていう松山は少しも悪びれず、だからよろしくと笑う。
どちらかと言えば自分を冷たい方だと思っている若島津でさえも、さすがに日向にはつい同情してしまうというものだ。
そんな訳で、若島津が松山のベッドに長居をするということは、実はあまり多くは無かったりする。
「じゃあ少し寝ていく」
若島津は大きく伸びをして、もう一度深くベッドに潜り込んだ。
もぞもぞと後ろから松山に手を伸ばし、ぬいぐるみかなにかのように抱き締め、首筋に顔を埋める。
若島津の規則正しい息遣いが松山を安心させる。
愛撫とは違った指が松山のシャツの中で優しく動いている。
松山は眠りにつく前、誰かに優しく触られているのがたまらなく好きだった。
一人で寝るのはあまり好きじゃ無い。
やっぱりこうしてるのが最高だな、微睡みの淵で松山は思う。
適度な重み。適度な体温。
こうしていると二つの心音は徐々に重なっていくんだ。不思議。
「おやすみ」
松山が欠伸をかみ殺しながらいったその言葉には返事はなく、若島津がさっさと眠りに落ちてしまったことがわかった。
図々しいやつだ。
2度も自分を無理矢理起こしておいて、先に寝るなんていい度胸だ。
振り向いて鼻でも摘んでやりたかったが、その気力は既に松山にも残ってはいなかった。
窓の外には夏の陽射しが照りつけ、厚く閉められたブルーのカーテンごしで部屋は水の中のようだ。
松山の目蓋が重く落ちる。
2匹の魚は静かに漂う。
エアコンの風がカーテンをさらさと揺らしていた。
恋をした。
本当に。
あまりに自分をまっすぐに見つめる日向に松山は恋をしていた。
つきあいは長いほうだったけど、その視線の意味に気付かないふりをしていた。
気がつけば、自分からあえて近付いていた。
初めて抱かれた時、ベッドの中で驚き顔の日向は熱にうかされたように言った。
「これがセックスだとしたら、今まで俺がしてたのは何なんだ?」
言われた松山が驚く程、日向は本当になにも知らなかった。
キスはへたくそ。セックスも人並み。
だけど松山は今まで感じたことがないくらいに日向を愛しいとおもった。がむしゃらで一直線なセックスが、不器用な口付けが待ち遠しい。
これは計算外。まるで・・・。
───ああ、そうか。俺、日向に恋をしたんだ。嘘みてえ。
そういえば、そういうこともあったんだっけ。
恋なんて自分はしないと思ってた。みんな好き。それでいいじゃん。
なのに、誰かが特別大事になるなんて。
更に、目の前の日向が真剣な顔で、自分に言うのだ。
「俺、松山に恋したみたい」
シャワーを使う音がする。
気持ちよい目覚め。
時計の針はとうに昼過ぎ、太陽は真上を少し落ちかけていた。
一人で眠るには大きすぎるベッド。松山が目を瞑ったまま隣を探ると、そこには冷たくなったシーツがよじれたままそこにあるだけ。
エアコンが強すぎる。部屋が冷え過ぎている。
先ほどまでそこにいた若島津は、勝手しったるなんとかでシャワーを浴びているのだろう。
松山はなんとなく居心地が悪そうにもぞもぞと丸くなる。
目が覚めた時、隣に誰もいないのは好きじゃ無い。
まるで情事が夢だったような気がしてくるから。だから恋人は自分よりもねぼすけがいい。
シャワーの音が止る。
洗面所のドアを開け、バスタオルの腰にまいた若島津が髭を剃りながら顔を覗かせた。
「松山」
「んー?」
「そこのシャツかしてくんない?」
「だめー、日向のだもん」
ついでにお前が今使ってる髭剃りもそう。
電気剃刀がきらいなんだ。
「どうもお前の趣味じゃ無いと思ったよ」
「残念でした〜」
松山と入れ違いに洗面所からでた若島津は、勢いよくカーテンをあけると、明け方投げたままのシャツを拾い上げる。
しわしわになった二日目のシャツを着るのは不本意ではあったが、この部屋に着替えをおいておけない愛人としては仕方の無いことだ。
脱ぎ散らかしたよれよれの服をつける。
裸足の足にキッチンの冷たい床が気持ちよい。若島津は勝手に冷蔵庫をあけ、残り少ないエビアンを飲み干す。
「あ〜、俺の分!」
振り返るともうシャワーを浴びた松山が、トランクス一枚で立っていた。
ろくに拭きもしない頭からはぽたぽたと水が滴る。
もう〜と、口を尖らせ仕方なく、コカ・コーラの缶をあける。
「炭酸あんまスキじゃねーんだよなぁ」
ぶつぶついいながら、冷たい液体を喉に流し込む。
若島津は当然のように松山が首から下げていたバスタオルで、松山の髪を乱暴に拭く。
猫を洗った後みたいだと若島津は思う。
若島津は猫を飼っていたことがあったが、こいつはそれによく似ていると常々思っていた。
松山といえば、我関せずそれは若島津の仕事だといわんばかりに、喉をごくごくいわせながらコーラを飲んでいた。
「あ、いま何時?」
「1時ちょっと前」
「やべえ!!」
「何?」
「2時に約束があったんだ。ったくおまえが急にくるからさぁ・・・」
「誰かくるのか」
「んー。三杉」
「なにしに」
「別に〜。今日暇だからどっかいこうぜって話で。とりあえずメシでも食わせてもらおうかな」
「そういや腹減ったな。じゃあ俺もなんか食って帰るか」
「そーそー。そーして」
「で、三杉とも?」
意味ありげに若島津が松山の腰に手を回す。
それをふりほどき、松山は若島津をちらりと見上げる。
「はー、しないでしょ。三杉無理強いしないし。今日は吐きそうにお腹いっぱいなもんで。誰かさんのせいでな」
冷めた声で言うと、松山は若島津にはすっかり興味なさげに、自分の支度を始める。
自分が、とやかく言うことじゃ無かった、と反省しつつ若島津は、心から日向の幸せを願った。
溜息をひとつこぼすと、若島津は、じゃあな、と入ってきた時とおなじように勝手に扉あけて出ていった。
エンジン音に気付き、松山が窓から道路を覗き見ると、若島津の車が走りさるところだった。
それを見送ると、松山は、先程、若島津が借りようとした日向のシャツを手にとり、Tシャツに上にはおる。自分には少しぶかぶかだ。
それでも満足そうに、ボタンをかけた。
約束の時間ぴったりに、三杉から電話がはいった。
窓の下には三杉のベンツ。
「いま下なんだけど。松山は食事は済んでるのかい?」
「さっきおきたばっかり」
「僕もまだなんだ。じゃあ食事にいこうか」
「何食いに行くの?」
「嫌じゃなければイタリア料理」
こんな真っ昼間から?別にいいよと電話口にいう。
日向だったらいいとこ牛丼。吉野屋にする?それとも松屋?
三杉に連れていかれるような店なら、きっとディナータイムにはノーネクタイお断りみたいな店なんだろう。
だからわざと汚い格好をする。
だぼだぼの日向のシャツのまま、同じくダボダボのショートパンツをはく。頭は拭かれてくしゃくしゃのまんま。すこし手櫛で気持ち整える。
降りていき、車の前にたった松山に、運転席から振り向いた三杉がその姿をみて一瞬止る。そして。
「じゃあ、いこうか」
とだけ言った。ほらね。
松山はくすくす笑いを被ろうとしたキャップの中に押し込める。
やっぱり何も言わない。だから俺たちうまくいってる。
松山は三杉の頬におざなりなキスをする。
「本当に、おなかすいたよ」
////////////つづく////////////////