「そーいえば、今日はいわねぇのな」
映画館近くの居酒屋で、何杯目かの生グレープフルーツサワーのグレープフルーツを力任せに絞りながら日向に言う。
苦手、だと思ってた日向も実際話してみると、そうでもなかった。
お互い大人になったっていうのもあるだろうけど、昔みたいなわざと言葉尻を掴んでは突っかかるっていうのもないし。
俺が興奮して喋る映画の感想に、言葉数は少ないけれど的確に、俺と同じ、あるいは違っていても納得できる答えが返ってくるのが心地よかった。
気がつけば、数時間たっている。時間のたつのも忘れている。
そんなときにはたと思い出したのが、ここのところのお約束会話のことだ。
「顔あわせる度にオマエ言うじゃん」
「ん?」
「『俺を部屋に呼べよ』ってやつ。なんで言わねえの?もういいのか?」
「いや・・・」
「だいたいなんで俺んちにそんなに来たがるんだよ。しかも呼べ、っつー高飛車な態度はなんなんだぁ?えぇ?」
俺はわざとらしく怒ってるふうを装いながら、ふざけて問いかけた。
「ったくよー、そんなに俺の部屋にきたいくらい俺のこと好きなんじゃねえの?だったらちゃんと言えばいいってーの。なーんてな」
ケラケラと笑いながら、グラスの氷を割り箸でカラカラと回す。
いくらなんでも話が飛躍し過ぎだよな。日向もぶ然とした表情で―――。
あれ、やべえ。こーゆーネタ振りはダメだったのか?怒らせちまったかな?
あまりにも日向が黙ったままなので、俺も焦る。
日向が目の前の梅割りをぐいっとあおった。さっき追加できたばっかりで全然口をつけてなかったグラスだったから、ほとんどイッキだ。
少しこぼれた口元を乱暴に拭う仕種に目を奪われる。変な話だが色っぽい。男の色気っていうんだろうか。なんで急にそんなふうに思ったのかわからねえけど。ほんとになんてことない普通の動きなのに。
俺・・・酔ってんのか?
思わずじいっと見てしまった俺は、そのまま動けなくなった。
気付いた日向が俺を真直ぐに見つめる・・・いや、睨み付けるような視線に。
やっとのことで言葉を絞り出す。
「おい?怒ったのか?」
「そうじゃねえ」
「なら、なんか言い返せよ」
「言っていいのかよ」
「なんだよ・・・。変だぞ日向」
「ああ・・・俺は変なのかもしれねえ・・・」
「なにっ?」
「俺は女じゃ勃たねえ。以上!」
「へ?」
「でるぞ」
俺は呆然としたまま、日向に腕を掴まれて店の外に連れ出される。
え?え?え?
全然意味がわかんねえ・・・。いや、意味はわかるのか・・・。
なんかすごい爆弾発言じゃねえ?
ってなんで俺に?
問いの答えになってねえだろう、日向。日向も酔ってるのか?言ったことわかってんのか?
頭の中をいろんな言葉が駆け巡る。
そもそもなんでこんな話になったんだっけ?
「松山、俺は呼ばれねえとオマエの部屋にはいけねえ」
「はぁ・・・」
そうだった。そういう話だったな。そーいえば。
そしてすんげえ間の抜けた返事をする俺。
あのう日向さん?展開についていけないんですけど?
「そーゆーことなんだがどうしてくれる?」
「えっと・・・」
またしても日向がじいっと睨んでくる。
両肩をがっしり掴まれて。このまえプールサイドで掴まれた時と同じなはずなのに、嫌な感じはしない。でも―――。
「あー、日向ウチ・・・くるか?」
「ああ」
日向が嬉しそうに笑う。
もうなにがなんだかわからねえ。
「じゃあ、明日いくぜ」
「・・・おう」
なんだ・・・。これからじゃねえのか。いや、その方がいいけど。
よかった・・・。
ちょっと一晩よーく考えさせてほしい。
日向も冷静になった方がいいだろう。そんなテメエの性癖なんて俺なんかにいっていいのかよ?
そりゃあ、今日一日で俺達はいろんなことを話していい友人になったと思う。同じようにチームのキャプテンをやってきた立場とか似てるから、反町とかみたいな楽な友だちに話せないような悩みとかもお互いに持ってるっていうのがわかったし。
でもさでもさでもさ!!
女がダメ・・・っていうことは男に勃つのか?
別にホモを差別するわけじゃないし、それは人それぞれだからいいと思う。
ただ、初めて身近でそんな奴がいるのはじめてだから。
いや、そこまで日向はいってなかったっけか。
いつのまにか、ぼんやり一人、自宅へ向かう電車に乗っていた。
右手には携帯電話。液晶に表示されている新しいメモリーは、はじめてみる番号と日向小次郎という名前。
知らない間に電話番号を交換してたらしい。いつだろ。飲んでる時?今さっき?
だんだんウチへ近くなるにつれ、頭の中がすっきりしてくる。
おいおい、ちょっとマズイんじゃねえのか。流石に鈍いと言われる俺でも、なんとなく輪郭くらいはわかってきた。
つまりだ。日向は俺を―――。
いや、もしかすると日向の冗談かも知れない。だって今までの俺達ってお互いをわざと困らせるようなことをしてきたんだから。
部屋に入って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、咽を湿らす。
なのに、いくら飲んでも咽が乾いていて―――。
足を投げ出し床に座り込み、ソファーに寄り掛かる。
どうしちまったんだろう。
さっきの日向の言葉が何度も頭の中でリフレインする。
『女じゃ勃たねえ』
どうして俺に言ったんだよ、日向。
すこし掠れたような低い声が耳に残っている。
俺なら―――俺になら勃つのか?日向―――。
やっぱり俺は酔っているんだ。なんだか下半身が熱い。日向の言葉に火種を点されてしまったのか。
本来ならすぐに浮かぶはずの、気持ち悪いとか、嫌だ、という感情が浮かんでこないことに逆に苛立ちながらも、俺の手はズボンの前に滑っていく。
ファスナーを下げる音が嫌に部屋に響く。
わずかに残った理性が、警鐘を鳴らす。俺がしようとしていることは・・・。
指先がこわばるように、取り出すまでの時間がやけに長く感じる。誰も見ていない、自分しかいない部屋なのにこんな緊張感は初めてだ。
陰茎を取り出すと、ぬるりと指が滑る。既にそれは昂っていた。
「・・・・っつ・・・」
なんてことだ。こんなことって―――。
無意識に膝を寄せ、つま先が伸びる。
ゆっくりと握ったまま上下に擦った。だんだん熱くなってくる。
脈を打つ鼓動が異様に早い。浅く息を吐きながら、ゆるゆると手を動かしている。
耳からは日向の声が離れない。
先端が刺激を欲しがっている。俺は親指を動かした。
透明な密が溢れ出し、さらに指をすべりやすくしてしまう。
あっという間に俺自身は硬く勃起した。
もう、さっさとやめてしまおう、と思いながらも、抜きたいといういつものような漠然とした欲求ではなく、まるで誰かにやらされているような感覚に身を震わせる。
「・・・・ひ・・・ゅう・・」
ひかえめな動きながらも感じやすい先端をいじくり、幹を扱きあげると全体がぬるぬるとなって―――。
根元をひときわ強く扱くと俺の体はびくびくと痙攣した。
一瞬、頭の中が真っ白になって、やがてゆるく失墜するように体中が弛緩する。
「はぁ・・・・はぁ・・・・」
荒い呼吸はすぐには止まない。
放出したあとの達成感よりも、自分がしたことへの罪悪感に視界が滲む。
俺、ほんとにどうしちまったんだろう。
日向でイクなんて・・・・・。
どうして嫌じゃないんだろう・・・・・。
ふと顔の向きを変えるとベランダだ。
部屋の照明が漏れて、隅のサボテンを薄く浮かび上がらせている。
丸い球体の途中に茶色いねこやなぎのような粒。
ゴミかと思ったそれは先日よりも大きくなって、サボテンの一部であることを主張しはじめていた。
つづく